ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン「ボロディノのナポレオン」画: ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン「ボロディノのナポレオン」

戦争と平和

レフ・トルストイ(1828-1910)。19世紀ロシアを代表する作家。自ら従軍した経験を持ち、戦争と歴史の意味を生涯問い続けた。

一言での本質

ナポレオン戦争に翻弄される貴族たちの恋愛と人生を、千数百ページかけて描く——だがトルストイの本当の標的は「歴史は英雄が動かす」という思い込みである。これは大河ドラマの顔をした、歴史を動かすのは誰かをめぐる壮大な反証実験だ。

この作品の背景

「戦争と平和」は1869年に完結した。舞台は1805年から1820年頃のロシア、ナポレオンの侵攻という巨大な歴史的事件である。物語は、ピエール、アンドレイ、ナターシャという三人の若者を中心に、無数の貴族たちの恋・結婚・死・成長を追う。

「平和」の章では、サロンや舞踏会、領地での日常、恋の駆け引きが描かれる。「戦争」の章では、戦場の混乱と兵士たちの生死が描かれる。この二つが交互に織り込まれ、個人の小さな人生と、ナポレオンの侵攻という巨大な歴史とが、絶えず重ね合わされていく。

物語の構造

  1. 平和の日常貴族たちのサロン、舞踏会、恋愛、家庭。ピエールの遺産相続、アンドレイの苦悩、ナターシャの初恋といった、ごく個人的な人生が描かれる。
  2. 戦争の侵入ナポレオンの侵攻が、その平和な日常に容赦なく踏み込む。アンドレイは戦場で重傷を負い、人生観を揺さぶられる。
  3. モスクワ炎上ナポレオン軍がモスクワに迫り、住民は街を捨て、街は焼ける。ピエールは捕虜となり、極限の中で生の意味を見出す。
  4. 退却勝ったはずのナポレオン軍が、冬と飢えの中で総崩れになり、悲惨な退却に転じる。誰の指揮でもなく、巨大な力が軍を押し流していく。
  5. 日常への帰還戦争が去り、生き残った者たちは結婚し、子を育て、再び平凡な日常へ戻る。歴史の嵐が過ぎたあとに残るのは、ありふれた人生である。

現代の働く人への示唆 解釈

トルストイがこの巨大な物語で本当に論じたかったのは、恋愛でも戦争でもなく「歴史を動かすのは誰か」という問いだ。彼の答えは挑発的である——ナポレオンのような英雄ではない。歴史は、無数の名もなき人間の小さな行動の総和が生む、誰にも制御できない巨大な流れによって動く。

戦場の描写でトルストイが繰り返し示すのは、指揮官の命令が、現場ではほとんど何も決めていないという事実だ。【解釈】命令は混乱の中で届かず、誤解され、状況は将軍の意図と無関係に展開する。勝敗を決めるのは、英雄の天才ではなく、兵士一人ひとりの気分や、偶然や、誰も把握できない無数の要因だ。「英雄が歴史を作る」という見方は、後から勝者に貼られた物語にすぎない。

タイトルの「戦争と平和」は、二つの場面の対比であると同時に、人生の二つのモードそのものだ。【解釈】巨大な歴史の嵐(戦争)が過ぎたあと、人間に残るのは、結婚し子を育てる平凡な日常(平和)である。トルストイは、歴史的偉業よりも、この平凡な生の営みのほうに本当の価値を置く。英雄の物語を解体した先に彼が見出すのは、名もなき人々の、ありふれた、しかしかけがえのない人生である。

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