吾輩は猫であるの時代背景

吾輩は猫である(夏目漱石)の深掘り

1905年連載開始、夏目漱石の処女作にして文壇デビュー作。日露戦争のさなか、英文学者だった漱石がなぜ猫の小説で作家になったのか。明治という時代と漱石自身から読み解く。

英文学者・夏目漱石の、思いがけない処女作

本作が連載された1905年、夏目漱石は、まだ作家ではなかった。彼は、イギリス留学から帰った、東京帝国大学などで教える英文学者だった。【解釈】この小説は、もともと、文芸誌『ホトトギス』に、軽い読み物として書いた一編だった。それが大評判となり、続編が求められ、長い連載になり、漱石を一躍、文壇の中心へ押し上げた。つまり、近代日本文学を代表することになる漱石は、肩肘張った『文学作品』ではなく、猫が人間を笑う、洒脱でユーモラスな諷刺小説によって、作家への道を歩み始めた。学者として西洋文学を研究し尽くした人物が、その教養を、難解な作品ではなく、軽妙な笑いとして結実させたところに、漱石の知性の深さと余裕がある。

日露戦争下の、神経をすり減らす近代社会

本作が書かれた明治38年(1905年)は、日露戦争のただ中だった。日本は、近代国家として急速に膨張し、国民は緊張と興奮の中にいた。【解釈】そんな時代に、漱石は、戦争の熱狂とは正反対の、一匹の猫ののんびりした目線から、市井の知識人たちの日常を描いた。だがその裏には、急速な近代化に追い立てられ、神経をすり減らしていく人間への、漱石の冷静なまなざしがある。文明が進めば進むほど、人は競争と見栄と自意識に追われ、かえって息苦しくなる。猫の超然とした態度は、そうした近代人のあくせくした生き方への、静かな批評でもある。世間が戦争に沸き立つ中で、人間の滑稽さと哀しさを、猫の目から見つめ直すこと——そこに、時代に流されない、漱石の知識人としての姿勢が表れている。

発見: 猫の死が告げる、笑いの底にある「無常」

物語の最後、猫の『吾輩』は、人間の飲み残したビールを舐めて酔っぱらい、水甕(みずがめ)に落ちて、もがいた末に、抵抗をやめ、静かに死を受け入れる。「ありがたいありがたい」と。【解釈】さんざん人間を笑ってきた諷刺小説が、最後に、語り手である猫自身の、あっけない死で終わる。この結末には、漱石の深い人生観がにじむ。あれほど偉そうに人間を論評していた猫も、結局は一匹の生き物にすぎず、ささいなことで命を落とす。人間の滑稽さを笑う猫もまた、無常の中にある。笑いの底に流れているのは、生きとし生けるものすべての、はかなさへのまなざしだ。明治の知識人を諷刺する洒脱なユーモアの奥に、人の世の見栄も議論も、やがては消えていく——という、静かな無常観が横たわっている。だからこの小説は、ただ笑って終わらない。笑いと哀しみ、諷刺と無常が一つに溶け合うところに、漱石文学の出発点の、深い味わいがあるのである。

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