なぜ全員が破滅するのか——フロロの欲望

ノートルダム・ド・パリ(ヴィクトル・ユゴー)の深掘り

純粋な愛も、聖職者の信仰も、美しい踊り子も、最後はすべて潰える。この全面的な破滅を引き起こす中心にいるのが、司祭フロロだ。彼の欲望の構造を解くと、悲劇の必然が見えてくる。

発見1: フロロを壊したのは欲望そのものではなく、欲望を許せない自分である

副司祭フロロは、禁欲を誓った聖職者だ。その彼が、踊り子エスメラルダに激しい欲望を抱いてしまう。問題は欲望を抱いたこと自体ではなく、それを自分が決して許せないことだ。【解釈】彼は欲望を「彼女が自分を誘惑した魔女のせいだ」とすり替える。自分の内なる欲望を直視できないから、その原因を相手に押しつけ、相手を破壊しようとする。手に入らないなら、誰にも渡さない——「自分のものにならないなら殺す」という、所有欲が反転した最悪の形だ。彼の信仰の硬さが、欲望を受け止める柔らかさを奪い、欲望を破壊衝動へと変えてしまった。

発見2: 三つの愛の対比が、破滅の意味を浮かび上がらせる

エスメラルダには三つの愛が向けられる。フロロの所有欲(手に入らないなら殺す)、軽薄な騎士フェビュスの遊び(弄んで捨てる)、そしてカジモドの純粋な愛(見返りを求めず守る)。【解釈】この三つを並べると、物語の評価軸が見える。社会的に上位の二人(司祭・騎士)の愛は破壊的・利己的で、最も醜く最下層のカジモドの愛だけが清らかだ。外見や身分の美しさと、心の美しさは逆向きになっている。エスメラルダが救われないのは、彼女を本当に愛した唯一の人間が、社会から最も無力な存在だったからだ。純粋さは、この世界では最も弱い。

発見3: カジモドの最後の抱擁が、破滅を救済に変える

物語の結末、エスメラルダは処刑され、フロロは塔から突き落とされて死ぬ。カジモドは姿を消す。後年、遺骨置き場で、エスメラルダの骸を抱いたまま朽ちた、せむしの骸骨が発見される。引き離そうとすると、骸はばらばらに崩れた。【解釈】これは陰惨な結末でありながら、奇妙な救済を含んでいる。生前、醜さゆえに誰からも触れられなかったカジモドが、死においてついに愛する者と一つになった。生きて結ばれることを許されなかった愛が、死によってだけ成就する。全員が破滅するこの物語の最後に置かれたこの抱擁は、悲劇の底に一つだけ、見返りを求めない愛は死をも超える、という静かな肯定を残している。

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