ジキルとハイドは「一人の人間」の何を表すのか
善良な博士ジキルと、邪悪なハイド。この二人が同一人物であることに、物語の本質がある。一人の中に共存する善と悪という主題を読み解く。
発見1: ハイドは「外の怪物」ではなく「ジキル自身の悪」
この物語で最も重要なのは、ハイドが、どこか別の場所からやってきた怪物ではない、ということだ。ハイドは、ジキル博士自身が、薬によって、自分の中の『悪』の部分だけを取り出し、形を与えたものだ。【解釈】つまり、邪悪なハイドは、もともとジキルの中にいた。善良な人格者として尊敬を集めるジキルの心の奥底にも、暗い欲望や、邪悪な衝動が、ずっと潜んでいた。彼は、それを世間に隠し、抑え込んで生きてきた。ハイドは、その隠された悪が、外に現れた姿にすぎない。この設定の恐ろしさは、悪が、特別な怪物の中ではなく、立派な人間の心の中にこそ潜んでいる、と告げる点にある。誰の心にも、ハイドが住んでいるのかもしれない——この物語は、そう問いかけている。
発見2: 善人ほど「抑圧された悪」を抱えている
皮肉なことに、ハイドという悪を生み出したのは、ジキルが、世間で立派な紳士であろうとしたからこそだ。【解釈】ジキルは、高い社会的地位と名声を持つ人物だ。だからこそ彼は、自分の中の欲望や衝動を、世間体のために、厳しく抑え込まなければならなかった。立派であろうとする圧力が強いほど、抑え込まれた欲望は、行き場を失って、内側にたまっていく。ジキルが、ハイドという形で悪を解き放ちたくなったのは、まさに、彼が表向き、あまりに完璧な善人を演じていたからだ。抑圧が強ければ強いほど、その反動も大きくなる。表の顔が清廉であるほど、裏に隠した悪は、濃く、激しくなる。この物語は、人間が、社会の中で『善人』を演じることの、その裏側にたまっていく闇を、鋭く描き出している。
発見3: 善と悪は「分かちがたく一体」である
ジキルは、善と悪を、化学的にきれいに分離できると考えた。悪だけをハイドに移せば、自分は純粋な善人でいられる、と。だが、この試みは失敗する。【解釈】なぜなら、人間の善と悪は、本来、分かちがたく一体だからだ。一人の人間の中で、善と悪は、複雑に絡み合い、互いに支え合い、せめぎ合っている。その緊張関係の中でこそ、人は、悪の誘惑と戦い、善を選ぶという、道徳的な生を生きられる。だが、悪を切り離してしまえば、その戦いそのものが、なくなってしまう。ハイドは、良心の歯止めをまったく持たない、純粋な悪になる。そして、悪を切り離されたジキルもまた、悪と戦う力を失い、弱くなっていく。善は、悪と向き合い、それと闘うことで、初めて善でありうる。悪を切り離して『純粋な善人』になろうとすることは、人間であることをやめることに等しい。この物語は、善と悪の両方を抱えて葛藤すること、その不完全さこそが、人間であることの本質だと、逆説的に教えているのである。
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原文を無料で読めます。The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde(Project Gutenberg掲載の英語原文)。