創造主ヴィクターの「責任」とは何か

フランケンシュタイン(メアリー・シェリー)の深掘り

生命を創り出した科学者が、その被造物を恐れて見捨てる。ヴィクターの罪は、生命を創ったことよりも、創ったものを放棄したことにあった。創造の責任という主題を読み解く。

発見1: ヴィクターの罪は「創ったこと」より「捨てたこと」

ヴィクターの過ちは、二段階ある。第一は、神の領域とされる『生命の創造』に手を出したこと。第二は、創り出した存在を、その醜さに恐怖して、無責任に見捨てたことだ。【解釈】そして、より重い罪は、第二のほうだ。生命を創ること自体は、知的な探究心の暴走だったかもしれない。だが、いざ生命が誕生した瞬間、その存在には、生きる権利と、ケアされる必要が生じる。にもかかわらず、ヴィクターは、生まれたばかりの存在を、ただ醜いという理由で、恐れ、嫌悪し、その場から逃げ出した。彼は、創造主としての責任を、完全に放棄した。生まれた子を、見た目が気に入らないからと捨てる親のように。怪物の悲劇のすべては、この『創ったものを捨てた』という、創造主の無責任から始まっている。

発見2: 「創ること」には「育てる責任」が伴う

この物語が突きつけるのは、何かを生み出すという行為には、それを生み出した者の、重い責任が伴う、という真実だ。【解釈】怪物は、ヴィクターに、こう訴える——あなたは私を創った。ならば、あなたには、私に対する義務があるはずだ、と。これは、まったく正当な訴えだ。創造主は、被造物に対して、それを導き、世話し、幸福にする責任を負う。ヴィクターは、創る能力は持っていたが、創ったものに対する責任を、まったく引き受けようとしなかった。生み出す力と、生み出したものを育てる責任は、本来、一体でなければならない。前者だけを行使し、後者を放棄したとき、創造は、祝福ではなく、悲劇になる。この洞察は、現代の科学技術——生命を操作し、新たなものを生み出す力を手にした私たち——への、痛切な警告でもある。

発見3: 創造主と被造物は「ともに破滅する」

物語の結末で、創造主ヴィクターと、被造物である怪物は、互いを憎み、追いつめ合いながら、ともに破滅へと向かう。怪物はヴィクターの大切な者たちを次々と奪い、ヴィクターは怪物を追って、極寒の地で力尽きる。そして怪物もまた、創造主の死を見届け、自らも消えていこうとする。【解釈】この『ともに滅びる』という結末は、深い意味を持つ。創造主と被造物は、憎み合いながらも、分かちがたく結びついている。一方が他方を生み出した以上、両者の運命は、もはや切り離せない。ヴィクターが責任を放棄したことの報いは、怪物だけでなく、ヴィクター自身をも破滅させる。無責任な創造は、創られた者を不幸にするだけでなく、創った者自身をも滅ぼす。怪物の最後の嘆き——自分は愛を求めただけなのに、憎しみしか得られなかった——は、この悲劇の本質を言い当てている。創造の責任を放棄した者と、放棄された者。その両方が、救われることなく滅びていく結末は、生み出すことの重さと、責任を欠いた創造の恐ろしさを、これ以上ないほど痛切に、私たちの胸に刻みつけるのである。

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