なぜ復讐は最後に「虚しい」のか

モンテ・クリスト伯(アレクサンドル・デュマ)の深掘り

すべての敵を破滅させたダンテスが、最後に見出すのは勝利ではなく空虚と赦しだった。これほど壮大な復讐譚が、なぜ復讐の虚しさに行き着くのか。物語の到達点を読み解く。

発見1: 復讐は「失われたもの」を取り戻さない

ダンテスは、自分を陥れた者たちへの復讐を、ほぼ完璧に成し遂げる。敵たちは、次々と破滅していく。だが、すべてを成し遂げた後、彼の心に残るのは、勝利の喜びではない。【解釈】なぜなら、どれほど敵を破滅させても、彼が失ったものは、何一つ戻ってこないからだ。牢獄で過ごした十四年の歳月。奪われた青春。彼の帰りを待ちきれず、別の男と結婚した恋人メルセデス。絶望のうちに死んだ父。これらは、復讐をどれほど完璧に遂げても、決して取り戻せない。復讐は、過去の苦しみを清算するように見えて、実は、失われたものを何一つ回復しない。敵を滅ぼした後に残るのは、ぽっかりと空いた、埋めようのない空虚だ。ダンテスは、復讐の達成の頂点で、それが自分を満たしてくれないことを、思い知る。

発見2: 「神を演じること」の傲慢さに気づく

復讐の過程で、無実の者まで巻き込み、傷つけてしまったとき、ダンテスは、深い疑念に襲われる。自分は、本当に正しかったのか。天に代わって悪を裁く『神の代理人』のつもりだったが、果たして、人間に、そんな資格があるのか。【解釈】ダンテスは、自分を神のように、絶対に公正な裁き手だと信じていた。だが、無実の者の死を前にして、彼は、自分がただの人間であり、その裁きが、神のような完璧さを持ちえないことを悟る。人間が、他人の運命を、善悪のすべてを見通したうえで裁くことなど、できはしない。『神を演じる』ことは、傲慢だった。この自覚が、ダンテスを、復讐者から、一人の悔いを知る人間へと、変えていく。彼は、復讐の力に酔っていた自分を省み、その傲慢さに、初めて気づくのである。

発見3: 物語は「赦し」と「希望」に行き着く

復讐の虚しさと、神を演じることの傲慢さを知ったダンテスは、物語の最後に、復讐とは別の境地へとたどり着く。【解釈】彼は、復讐を完成させることよりも、まだ救えるものを救い、若い者たちの未来に希望を託すことへと、心を向けていく。物語の結びで、彼が遺す有名な言葉は、人間の知恵のすべては『待つこと』と『希望すること』にある、という趣旨のものだ。これは、復讐に生きた男が、最後にたどり着いた、深い真実だ。過去の恨みに囚われ、復讐に人生を捧げるのではなく、苦しみに耐えて待ち、未来に希望を持つこと。そこにこそ、人間の救いがある。壮大な復讐の物語は、復讐の達成ではなく、復讐を超えた、赦しと希望の発見をもって、幕を閉じる。デュマは、痛快な復讐譚を存分に描ききった果てに、それでもなお、恨みより赦しを、過去より未来を選ぶことの尊さを、静かに、しかし確かに、示してみせた。だからこの物語は、ただ胸のすく娯楽を超えて、人間が苦しみとどう向き合うべきかを問う、深い人生の書にもなっているのである。

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