なぜ「手紙」だけで書かれているのか
この小説には、客観的な語り手がいない。すべてが主人公ウェルテルの手紙だ。この形式の選択こそ、本作を文学史上の事件にした最大の発明である。なぜ手紙でなければならなかったのか。
発見1: 手紙形式は、読者を主人公の内側に閉じ込める装置である
通常の小説には、出来事を外から眺める語り手がいて、読者に距離と判断の余地を与える。だが「若きウェルテルの悩み」にはそれがない。読者が読むのは、ウェルテルが自分の感情を綴った手紙だけだ。【解釈】これにより、読者はウェルテルを外から観察できない。彼の喜び、嫉妬、絶望を、彼の一人称で、内側から直接浴びる。客観的な視点が消されているから、読者は「彼は感情的すぎる」と冷静に判断する足場を奪われ、彼の熱情にそのまま同化させられる。手紙という形式が、読者をウェルテルその人にしてしまうのだ。
発見2: 同化の強さが、刊行当時の社会現象を生んだ
この同化装置はあまりに強力に働いた。刊行後、ヨーロッパ中の若者がウェルテルに熱狂し、彼の青い上着と黄色いベストを真似て着る「ウェルテル・ファッション」が流行した。そして一部の若者は、彼を真似て自ら命を絶ったとされる。【解釈】手紙形式が読者をウェルテルに同化させすぎた結果、物語が読者の現実の行動を変えてしまった。後に自殺の連鎖を指す「ウェルテル効果」という言葉が、この現象から生まれる。フィクションの感情が、紙の外へ滲み出して現実の生死に影響する——文学の力が、これほど露骨に証明された例は珍しい。
発見3: 「個人の内面」が文学の主役になった瞬間
それまでの文学の多くは、外の出来事——冒険、戦争、社会の出来事——を語ってきた。「若きウェルテルの悩み」は、外で何が起きたかではなく、一人の人間の内側で感情がどう動いたかだけを、まるごと一冊で描いた。【解釈】手紙形式は、その「内面だけを描く」という目的のための必然だった。出来事ではなく心の動きが主役になり、読者はそれに共感するために読む。これは、近代以降の小説が「個人の内面の探求」を中心に据えていく、その出発点の一つである。ウェルテルの手紙は、文学が外の世界から、人間の心の中へと向きを変えた、その転回点に立っている。
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