オデュッセウスはどんな英雄なのか
彼は、剣で敵をなぎ倒すアキレウスのような英雄ではない。むしろ欺き、隠れ、待つ。この「ずるい」とも見える英雄像こそ、文学が新しく発明した、もう一つの強さの形である。
発見1: 彼の武器は腕力ではなく「知恵」である
オデュッセウスは「知略に富む者」と呼ばれる。彼の数々の危機の乗り越え方を見ると、その特徴がよくわかる。一つ目の巨人キュクロプスを倒すとき、彼は正面から戦わない。自分の名を「ウーティス(誰でもない)」と偽り、巨人を酔わせて目を潰し、「誰でもないがやった」と叫ばせて仲間の助けを来させない、という機知で脱出する。【解釈】これは、力で勝るアキレウス的英雄とはまったく違う強さだ。オデュッセウスは、自分より強い相手を、頭脳と策略で出し抜く。トロイアの木馬の計略を考えたのも彼だ。腕力では敵わない状況を、知恵で逆転する——この英雄像は、弱い者が強い者に勝つ普遍的な物語の原型であり、後のあらゆる「知恵で困難を切り抜ける主人公」の祖先である。
発見2: 彼は「生き延びるためなら、欺き、隠れ、待つ」
オデュッセウスは、しばしば正々堂々とは戦わない。彼は変装し、嘘をつき、好機が来るまでじっと待つ。帰郷の際も、すぐに名乗らず、乞食に身をやつして敵の内情を探る。【解釈】これは、誇り高きアキレウスなら決してしない振る舞いだ。アキレウスは「名誉」のために、たとえ死んでも正面から戦う。だがオデュッセウスは「生還」のために、誇りを捨ててでも、欺き、耐える。彼にとって最も大切なのは、栄光に包まれて死ぬことではなく、生きて家に帰ることだ。だから彼は、見栄えの悪い手段も厭わない。この「生き延びる知恵」の英雄像は、戦って散る美学とは別の、もう一つの人間の強さ——どんな状況でも生き残り、目的を果たす粘り強さ——を文学に持ち込んだ。
発見3: 試練の数々は「誘惑とどう付き合うか」の寓話である
オデュッセウスの旅の試練は、単なる冒険ではなく、人間の誘惑の寓話として読める。人を豚に変える魔女キルケー(欲望に溺れて理性を失うこと)、食べると故郷を忘れる蓮食い人(目的を見失うこと)、聞けば破滅する美しいセイレーンの歌(抗いがたい甘い誘惑)。【解釈】注目すべきは、オデュッセウスの対処法だ。セイレーンの歌を、彼は聞きたい。だが聞けば船は破滅する。そこで彼は、自分の体を帆柱に縛りつけ、部下の耳には蝋を詰めさせて、自分だけが縛られたまま歌を聞く。誘惑を禁じるのでも、溺れるのでもなく、安全な仕掛けの中で味わい、しかし身を委ねない。これは、欲望との極めて成熟した付き合い方だ。オデュッセウスの旅は、誘惑に満ちた世界をどう賢く生き抜くかという、人生そのものの寓話なのである。
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