カンダタはなぜ救われ損なったのか
極楽へあと少しというところで糸が切れ、地獄へ逆戻りするカンダタ。糸を切ったのは何だったのか。彼の「たった一つの叫び」が招いた破滅を読み解く。
発見1: 糸を切ったのは「重さ」ではなく「言葉」だった
カンダタが蜘蛛の糸をのぼっていくと、後から、数えきれないほどの罪人たちが、同じ糸に取りついて、続々とのぼってくる。細い糸が、こんなに大勢の重みに耐えられるはずがない——そう恐れたカンダタは、『こら、罪人ども。この糸は俺のものだ。下りろ、下りろ』と喚く。その途端、糸は、カンダタのぶら下がっている、まさにその真上から、ぷつりと切れる。【解釈】ここが、この物語の決定的な瞬間だ。糸が切れたのは、大勢の重さで物理的に切れたのではない。なぜなら、糸は、大勢がのぼっていた『下』ではなく、カンダタの『真上』で切れたからだ。つまり、糸を切ったのは、重さではなく、カンダタの口から出た、あの利己的な叫びそのものだった。彼が『俺の糸だ、下りろ』と言った、その心と言葉が、救いの糸を断ち切った。物語は、はっきりと、原因がカンダタ自身の心にあることを示している。
発見2: 彼を滅ぼしたのは「自分だけ助かろうとする心」
カンダタが叫んだのは、恐怖からだった。このままでは糸が切れて、自分も地獄に逆戻りしてしまう——その恐れが、『他の奴らを下ろして、自分だけ助かろう』という心を生んだ。【解釈】だが、皮肉なことに、まさにその『自分だけ助かろう』という利己心こそが、彼の救いを断ち切った。もし彼が、何も言わずにのぼり続けていたら、あるいは『重いだろうが、みんな、ゆっくりのぼろう』と思っていたら、糸は切れなかったかもしれない。彼は、自分が助かりたいあまりに、かえって自分を滅ぼした。地獄に落ちる原因となったのは、生前の大きな罪の数々というより、救われる間際に出た、たった一つの利己心だ。芥川は、人間のエゴイズムが、結局は自分自身を破滅させることを、この一瞬の出来事に、鋭く凝縮してみせた。
発見3: 「みんなで」と思えれば、救いはあったかもしれない
この物語が残す最も深い問いは、『では、カンダタはどうすればよかったのか』だ。【解釈】答えは、おそらくこうだ——もしカンダタが、後から来る罪人たちを、敵ではなく、同じ苦しみを背負う仲間として受け入れ、『みんなで一緒に極楽へ行こう』と思えていたら、糸は切れなかったかもしれない。救いは、一人だけのものではなかった。お釈迦様が垂らした糸は、結果として、地獄の罪人たち全員に開かれていた。それを、自分だけのものにしようとした瞬間に、すべてが失われた。ここには、深い逆説がある——自分だけ助かろうとすれば滅び、みんなで助かろうとすれば救われたかもしれない。利己は身を滅ぼし、他者を思う心は、自分をも救う。カンダタの失敗は、私たちに問いかける。救いの糸を前にしたとき、自分は『下りろ』と叫ぶ側か、それとも『一緒にのぼろう』と言える側か。この短い物語は、人間の心の最も根本的な分かれ道を、たった一本の糸に託して、静かに突きつけているのである。
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