この物語が描く「エゴイズム」とは何か

蜘蛛の糸(芥川龍之介)の深掘り

極楽の慈悲と、地獄の利己心。芥川がこの簡潔な寓話に込めたのは、人間のエゴイズムへの鋭いまなざしだった。なぜ利己心は自分自身をも滅ぼすのかを読み解く。

発見1: エゴイズムは「とっさに」現れる

カンダタは、最初から他人を蹴落とそうとしていたわけではない。糸を見つけたときの彼は、ただ無心に、極楽へのぼろうとしていた。彼の利己心は、後続の罪人たちを見て、『糸が切れるかもしれない』という恐怖が湧いた、その瞬間に、とっさに現れた。【解釈】ここに、芥川の鋭い人間観がある。エゴイズムは、じっくり考えた末の選択としてではなく、危機や恐怖を前にした瞬間に、反射的に噴き出してくる。普段は隠れている『自分だけ助かりたい』という心が、追い詰められた瞬間に、表に出る。カンダタは、特別に邪悪な人間だから利己的になったのではない。誰の心の中にもある利己心が、極限の状況で、ふと頭をもたげただけだ。だからこそ、この物語は、他人事ではない。私たちも、同じ状況に置かれたら、とっさに『下りろ』と叫んでしまうかもしれない。

発見2: 利己心は「結局、自分を滅ぼす」

この寓話が示す最も重要な教訓は、利己心が、それを抱いた本人自身を滅ぼす、ということだ。【解釈】カンダタは、自分が助かりたい一心で、他人を排除しようとした。だが、その利己的な行為こそが、彼の救いの糸を断ち切り、彼を再び地獄へ突き落とした。自分だけの得を求めた結果、その自分すらも失う。これは、深い逆説だ。利己心は、一見、自分の利益を守るための、賢い選択に見える。だが、しばしばそれは、長い目で見れば、自分自身を破滅させる。他者を蹴落として得た安全は、もろく、続かない。芥川は、エゴイズムが、他人を傷つけるだけでなく、最終的には、それを抱いた者自身に跳ね返ってくることを、糸が『カンダタの真上で切れる』という、見事な象徴によって描き出した。

発見3: 「慈悲」と「利己」が一本の糸で対比される

この物語は、二つの心を、鮮やかに対比させている。一つは、お釈迦様の『慈悲』。罪深い大泥棒の、たった一度の小さな善行を見逃さず、救いの手を差し伸べる、無償の優しさだ。もう一つは、カンダタの『利己』。救われる間際に、自分だけ助かろうとする心だ。【解釈】そして、この二つを結ぶのが、一本の蜘蛛の糸だ。慈悲が垂らした糸を、利己が断ち切る。お釈迦様の慈悲は、カンダタが、かつて蜘蛛に向けたほんのわずかな慈悲(命を助けたこと)に応えたものだった。つまり、カンダタを救おうとした力は、もとはといえば、カンダタ自身の中にあった、小さな思いやりの心だった。にもかかわらず、彼は、最後の瞬間に、思いやりではなく利己を選び、自らその救いを失う。芥川は、人間の心の中に、慈悲と利己の両方があることを知っていた。どちらを選ぶかで、人は救われも、滅びもする。慈悲は人を(自分をも)救い、利己は人を(自分をも)滅ぼす——この簡潔な寓話は、人間の心をめぐる、永遠の真実を、一本の細い糸に込めているのである。

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