リア王の狂気は何を見せるのか
すべてを失ったリアは、嵐の荒野で正気を失う。だがこの狂気は、単なる精神の崩壊ではない。王として「正気」だったときには見えなかったものを、彼に見せる装置である。
発見1: 王は「地位」を自分自身だと思い込んでいた
物語の前半、王として君臨していたリアは、傲慢で、短気で、自分に逆らう者を許さない。彼は、自分の権力と王という地位を、自分自身そのものだと思い込んでいる。【解釈】だから、娘たちに領土を分け与え、従者を取り上げられ、地位の中身が一枚ずつ剥がされていくと、彼は自分が何者なのか分からなくなる。「私が誰か言える者はいるか?」と彼は問う。王冠を脱いだ自分が何者なのか、彼自身が知らないのだ。地位を自分だと思っていた人間は、地位を失ったとき、自分まで失う。リアの混乱は、肩書きを自分のアイデンティティにしてきた人間が、それを失ったときに直面する空白そのものだ。
発見2: 嵐の荒野で、彼は「裸の人間」を見る
屋根も従者も尊厳も失い、嵐の荒野をさまようリアは、雨に打たれる半裸の物乞い(変装した男)に出会う。その姿を見て、彼は衝撃を受け、こう悟る——「人間とは、これにすぎないのか。地位の飾りを剥ぎ取れば、人間はこんな、哀れで、貧しい、二本足の裸の動物にすぎないのか」。そして彼は、自分の衣服を引き裂こうとする。【解釈】ここがこの悲劇の核心だ。リアは、すべてを失って初めて、人間の本体を見る。王も乞食も、地位や衣を剥がせば、同じ、無力で哀れな裸の動物だ。権力の頂点にいたときには決して見えなかったこの真実を、彼はどん底で初めて掴む。喪失が、彼に最も深い認識をもたらした。
発見3: 「狂った」リアのほうが、「正気」のリアより深く世界を見ている
狂気に落ちたリアは、正気のときより、はるかに鋭く真実を語るようになる。彼は、権力者がいかに弱者を踏みにじるか、富がいかに罪を覆い隠すか、社会の不正をむき出しに見抜き、語る。【解釈】ここに痛烈な逆説がある。王として「正気」で権力を握っていたとき、リアはへつらいに囲まれ、何も真実を見ていなかった。すべてを失い「狂った」ことで、彼は初めて、地位やへつらいのフィルターを通さずに、世界をありのままに見る。狂気は、彼から正気を奪った代わりに、正気が隠していた真実を見せた。シェイクスピアは問いかける——権力と財に囲まれて何も見えていない「正気」と、すべてを失って真実が見える「狂気」と、どちらが本当に目が開いているのか。リアの狂気は、私たちが「まとも」だと思っている状態が、いかに多くの真実を覆い隠しているかを暴く、暗い鏡なのである。
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