暴君ディオニスはなぜ心を変えたのか

走れメロス(太宰治)の深掘り

人を信じられず、疑心から人を殺し続けた暴君。そのディオニスが、最後にメロスたちの仲間に加えてほしいと願う。人間不信の王を変えたものは何か。物語の到達点を読み解く。

発見1: 暴君ディオニスは「人を信じられない」がゆえに孤独だった

暴君ディオニスは、最初、ただの残虐な悪人として描かれているように見える。だが、その内面を覗くと、彼は『人を信じることができない』という、深い病を抱えた人間だ。彼は言う——人間は、もともと私欲のかたまりだ、信じてはならない、と。彼は、妹婿も、世継ぎも、臣下も、自分を裏切るのではないかという疑いから、次々に殺してしまった。【解釈】彼の残虐さの根っこにあるのは、憎しみではなく、恐れと孤独だ。誰も信じられないから、誰もが敵に見える。人を信じられない心は、その人自身を、孤独な地獄に閉じ込める。ディオニスは、悪人である前に、人を信じる喜びを失った、孤独で哀れな人間だった。メロスへの冷笑——どうせ逃げるに決まっている——も、その絶望的な人間不信の表れだった。

発見2: メロスの走りは「言葉」ではなく「行為」で信実を証明した

ディオニスのような、徹底した人間不信に陥った者を、言葉で説得することはできない。『人を信じなさい』といくら説いても、彼は『きれいごとだ』と冷笑するだけだろう。メロスが王の心を変えられたのは、彼が、信実を語ったのではなく、信実を生きてみせたからだ。【解釈】傷つき、血を流し、ぼろぼろになりながら、それでも約束の時刻に、刑場へ駆け込んでくる。友を死なせまいと、自分の命を顧みずに走りぬく。この、紛れもない行為の前では、どんな冷笑も通用しない。人を信じる心は、確かに存在する——メロスは、それを、一言も主張せずに、自分の全身で証明した。理屈で崩せない不信は、理屈ではなく、本物の行為によってしか、崩せない。メロスの満身創痍の姿そのものが、王への、最も雄弁な反論だった。

発見3: 「仲間に入れてくれ」——不信から信頼への帰還

メロスとセリヌンティウスが、互いの弱さを告白し、殴り合い、抱き合って泣くのを見たとき、暴君ディオニスは、顔を赤らめて、こう申し出る——『どうか、私も仲間に入れてくれまいか。お前たちの仲間の一人にしてほしい』。【解釈】この一言に、物語のすべてが集約されている。誰も信じられず、孤独な暴君として人々の上に君臨していた王が、自ら『仲間に入れてくれ』と、頭を下げる。それは、人を支配する側から、人を信じ、信じられる側へと、彼が戻ってきたことを意味する。人間不信という孤独な地獄から、信頼しあう人間の輪の中へ——メロスの走りは、一人の人質を救っただけでなく、一人の暴君の魂をも救った。人を信じる心は、伝染する。たった一人が、命がけで信実を貫けば、それを見た者の、固く凍りついた不信さえ、溶かすことができる。この物語が、八十年以上も読み継がれてきたのは、人間のいちばん良いものを信じたい、という願いが、いつの時代にも、私たちの胸の奥にあるからなのだ。

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