メロスはなぜ走り続けたのか

走れメロス(太宰治)の深掘り

豪雨、増水、山賊、極限の疲労。一度は諦めて倒れたメロスが、それでも再び立ち上がる。彼を走らせ続けたものは何か。最大の敵が「自分自身の弱さ」だったことを読み解く。

発見1: メロスの本当の敵は「自分の中の弱さ」だった

メロスの行く手には、次々と困難が現れる。氾濫して橋が流された川、襲いかかる山賊、灼熱の太陽、そして極限の疲労。だが、これらの外の障害よりも、はるかに手強い敵が、メロスの内側に現れる。【解釈】力尽きて道に倒れたとき、メロスの心に、甘い囁きが忍び込む——『もう十分やった』『どうせ間に合わない』『自分は精一杯走った、これ以上は無理だ、友よ許してくれ』。これは、楽なほうへ逃げようとする、自分自身の弱さの声だ。立派な理由をつけて、約束を投げ出そうとする心。メロスが本当に戦わなければならなかったのは、暴君でも自然でもなく、この、諦めへと誘う自分自身の心だった。人間の最大の敵は、しばしば、外ではなく、自分の内側にいる。

発見2: 彼を立たせたのは「正義」ではなく「友への信実」

倒れたメロスを、もう一度立ち上がらせたものは何か。それは、立派な正義感や、英雄的な使命感ではない。湧き水を一口飲んだメロスの胸に蘇るのは、もっと素朴な思いだ——自分を信じて、刑場で待っている友がいる。その友を、裏切るわけにはいかない。【解釈】ここが、この物語の核心だ。メロスは、『正義のため』『信念のため』に走るのではない。ただ、『友を裏切れない』という、たった一つの、生身の人間への信実のために、立ち上がる。抽象的な理想ではなく、目の前の、自分を信じてくれている一人の友——その具体的な顔が、彼を再び走らせる。人を本当に動かすのは、大きな理屈ではなく、信じてくれる誰かを裏切れない、という、小さくて、しかし最も強い思いなのだ。

発見3: 「間に合うかどうか」ではなく「走ること」に意味がある

メロスは、再び走り出すとき、もはや『間に合うかどうか』を考えてはいない。彼自身、こう言う——間に合う、間に合わぬは問題ではない。人の命も問題ではない。自分は、もっと恐ろしく大きいもののために走っているのだ、と。【解釈】ここで、メロスの走りの意味が、深く変わる。最初、彼は、友を死なせないために、つまり結果のために走っていた。だが今、彼は、結果がどうであれ、走らずにはいられないから走る。たとえ間に合わなくても、友を裏切らなかったという事実、信実を貫いたという事実そのものに、命より大きな価値がある——彼はそう悟る。人が何かを貫くとき、それは、得か損か、成功か失敗かを超えた次元に達する。メロスを走らせ続けたのは、結果への計算ではなく、信実を貫きたいという、人間の魂の最も高い欲求だった。だから彼の走りは、たどり着けるかどうかを超えて、それ自体が美しいのである。

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