ファウストの時代背景
ゲーテは60年近くをかけてこの作品を書いた。その間に、ヨーロッパは啓蒙の時代から革命と近代へと激変する。なぜ彼が「知に絶望した学者」を主人公にしたのか、時代の文脈から読み解く。
あらゆる学問を究めてなお満たされない——知の限界という近代の不安
物語はファウストが、哲学・法学・医学・神学とすべての学問を究めてなお、世界の本質に到達できないと絶望するところから始まる。【解釈】これは、理性と知識への信頼が高まった啓蒙の時代の、裏側の不安を映している。学べば学ぶほど、知ることのできない領域の広さが見えてくる。理性だけでは人生の意味も世界の核心も掴めない——ファウストの絶望は、知性万能の時代に生まれた、近代人の根本的な渇きだ。だから彼は、知の代わりに「経験」を求めて、悪魔とともに世界へ飛び出していく。頭で理解することから、身体で生きることへ。彼の旅は、知の限界に直面した人間の、必然の転回である。
「努力し求め続ける人間」が理想とされた、上昇の時代
ゲーテが生きたのは、身分制が崩れ始め、個人が自分の力で人生を切り開くことが価値とされ始めた時代だ。革命が起き、近代産業が芽吹き、世界が動的に変化していく。【解釈】「絶えず努め求める者は救われる」というファウストの結末は、この時代精神の結晶だ。生まれた場所に安住するのではなく、つねに上を、先を目指して動き続ける——それが新しい人間の理想になった。ファウストは、その理想の壮大な化身である。彼が最後に土地を切り開く事業に意義を見出すのも、自然を変え世界を作り変える近代の力への、ゲーテの両義的な賛歌だ。求め続ける近代人の輝きと、その過程で生まれる犠牲。ファウストは、近代という時代そのものの自画像なのである。
発見: 「満足しない」ことを善とした、価値観の転換点
古代以来、多くの思想は「足るを知る」こと、欲望を抑えて心の平安を得ることを理想としてきた。ファウストは、その伝統を逆転させる。彼にとって満足は終わりであり、敗北だ。【解釈】これは、人類の価値観の巨大な転換点を示している。「満ち足りて立ち止まる」ことを理想とした世界から、「決して満足せず求め続ける」ことを理想とする世界へ。この転換こそが、絶えざる成長・拡大・進歩を善とする、近代という時代の精神そのものだ。だがゲーテは、それを手放しで称えはしない。求め続ける生は人間を高めるが、グレートヒェンを破滅させたように、満足を知らない欲望は誰かを犠牲にもする。ファウストは、「もっと、もっと」を原動力とする現代社会の、最初の肖像であり、同時にその最初の警告でもある。立ち止まらないことの偉大さと危うさを、この古典は二百年前にすでに描き切っていた。
あわせて読む
原文を読むには
原文を無料で読めます。Faust(Project Gutenberg掲載の英訳)。