なぜエミールは重要なのか——「子ども」の発見

エミール(ジャン=ジャック・ルソー)の深掘り

一冊の教育論が、なぜ思想史に残る古典なのか。それは、この本が単なる育児書ではなく、人間と社会についての一つの根本的な世界観を、教育を通して提示したからだ。

発見1: 「人間は本来善い」という性善説が土台にある

「エミール」の冒頭の一文——「万物をつくる者の手を離れるときすべてはよいが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」——が、すべての出発点だ。人間は、生まれたときは善い。それを歪め、堕落させるのは、社会だ。【解釈】この性善説は、当時の支配的な見方への挑戦だった。多くの宗教的伝統は、人間は生まれながらに罪を背負っているとした。ルソーは、それを逆転させる。問題は人間の本性ではなく、人間が作り出した社会の側にある。だから教育の目的は、子どもの中の悪を矯正することではなく、生まれ持った善さを、社会の悪い影響から守り抜くことになる。この楽観的な人間観こそが、彼の教育論全体を貫く背骨だ。

発見2: 教育は「社会のための矯正」から「個人の自然な成長」へ転換した

ルソー以前の教育は、子どもを、社会や身分が求める型に「はめ込む」ことだった。良き臣民、良き信者、良き家業の跡継ぎへと、子どもを成形する。【解釈】ルソーは、その方向を反転させる。教育の目的は、社会の型に子どもをはめることではなく、その子自身の自然な成長を助け、まず一人の自立した「人間」を育てることだ。社会の役割(職業や身分)は、その後でいい。まず人間であれ、というわけだ。これは、教育の主役を「社会の要求」から「子ども自身」へと移す、コペルニクス的な転換だった。現代の「子ども中心の教育」「個性の尊重」といった理念は、すべてこの転換に源を持つ。

発見3: 刊行直後に焚書された、その危険な思想

「エミール」は、刊行されるとすぐに、フランスでもジュネーヴでも発禁となり、公衆の前で焼かれた。ルソー自身も逮捕を逃れて亡命を余儀なくされた。なぜ一冊の教育論が、これほど危険視されたのか。【解釈】それは、この本が、当時の社会と宗教の根本を揺るがしたからだ。「人間は本来善く、社会が堕落させる」という主張は、人間の悪を前提に成り立っていた既存の権威——社会秩序を罪人を抑える装置とみなす考え——を否定する。さらに本書の中の宗教観も、教会の教義から外れていた。子どもを既存の型にはめず、自分で考える自立した個人に育てよ、という思想は、権威に従順な臣民を求める体制にとって、危険そのものだった。一冊の教育論が焚書されたという事実が、この本がいかに、人間と社会のあり方そのものを問い直す、根底的な書だったかを物語っている。教育をどう考えるかは、社会をどう考えるかと、分かちがたく結びついているのだ。

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