坊っちゃんは「組織」の何と戦ったのか
温厚を装う赤シャツ、こびへつらう野だいこ。坊っちゃんが敵としたのは、個人の悪人というより、ごまかしと処世術で動く「組織のあり方」そのものだった。その対立の構図を読み解く。
発見1: 敵は「表と裏を使い分ける」大人たちである
坊っちゃんが対立する赤シャツ(教頭)は、単純な悪人ではない。彼は、表向きは、上品で、温厚で、教養があり、もっともらしいことを語る。だが、その裏では、計算高く、人を陥れ、自分の保身と利益をはかっている。【解釈】坊っちゃんが我慢ならないのは、この『表と裏の使い分け』だ。正々堂々と悪いことをするなら、まだいい。だが赤シャツは、good 人の仮面をかぶって、裏で卑劣なことをする。表面の上品さで、中身の卑しさを覆い隠す。坊っちゃんのまっすぐな目には、その偽善が、はっきりと見える。そして、見えるからこそ、許せない。この物語の対立は、善人対悪人ではなく、『裏表のない人間』対『裏表を使い分ける人間』の対立なのだ。
発見2: 「処世術」がはびこる組織への嫌悪
赤シャツや野だいこのような人間が幅をきかせているのは、彼ら個人の問題というより、そういう人間が得をする『組織』のあり方の問題だ。【解釈】学校という組織の中では、正直に怒る坊っちゃんは『扱いにくい困った人間』とされ、上手に立ち回る赤シャツが『できる教頭』として出世していく。組織は、しばしば、まっすぐな人間より、ごまかしのうまい人間を重用する。波風を立てず、上にこびへつらい、要領よく振る舞う者が、評価される。坊っちゃんが戦ったのは、一人の赤シャツというより、こうした処世術がはびこり、正直者が損をする、組織の構造そのものだ。漱石は、近代の組織社会が、人間に強いる『うまく立ち回れ』という圧力への、痛烈な違和感を、坊っちゃんの怒りに託している。
発見3: 坊っちゃんは「勝てない」が「屈しない」
物語の最後、坊っちゃんは、山嵐と組んで、赤シャツと野だいこの卑劣を暴き、二人に鉄拳を見舞う。痛快な制裁だ。だが、それで坊っちゃんが組織に勝ったわけではない。彼は結局、学校を辞めて、田舎を去り、東京へ帰る。【解釈】組織は、坊っちゃん一人が暴れたくらいでは、変わらない。赤シャツのような人間は、これからも、うまく立ち回って生きていくだろう。その意味で、坊っちゃんは『負けた』とも言える。だが、重要なのは、坊っちゃんが、自分のまっすぐさを、最後まで一歩も曲げなかったことだ。組織に屈して、自分を偽って居続けることを、彼は選ばなかった。勝てなくても、屈しない。汚いやり方が通る世界なら、そんな世界から自分が出ていく。この、組織に飲み込まれない潔さこそ、坊っちゃんの最後の矜持だ。漱石は、まっすぐな個人が、ごまかしの組織に必ず勝てるとは描かなかった。だが、負けても自分を曲げない人間の尊さを、はっきりと描いた。それが、この痛快な物語の底に流れる、静かな硬骨さなのである。
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