「こころ」は何を描いた物語なのか——エゴイズムという主題

こころ(夏目漱石)の深掘り

三角関係の悲恋として読むと、この小説の深さを取りこぼす。漱石が本当に描いたのは、誰の心の中にもある「自分本位(エゴイズム)」という、近代人の根本問題だ。

発見1: 「善良な自分」という思い込みが崩れる物語である

若き日の先生は、自分を善良で誠実な人間だと信じていた。彼は、財産をめぐって自分を欺いた叔父を、心から軽蔑した。「自分は決してあんな卑劣な人間ではない」と。【解釈】「こころ」の核心は、その思い込みが崩れる瞬間だ。恋愛という、人間の本性が試される場面で、先生は、最も信頼していた親友Kを冷静に出し抜いた。善良だと信じていた自分の中に、叔父と同じエゴイストがいた。漱石が描くのは、特別な悪人の話ではない。「自分だけは違う」と思っている、ごく普通の誠実な人間が、決定的な場面で、自分の中の利己性に直面してしまう——その普遍的な恐怖だ。だからこの物語は、自分を善人だと思っているすべての読者に向けられている。

発見2: Kの自殺は、先生に「自分もKと同じだ」と気づかせる

親友Kは、自らの恋を先生に打ち明け、そして先生に裏切られて自殺する。先生は、Kを死なせた罪に苦しむ。だが、より深い苦しみは別のところにある。【解釈】先生は、孤独で求道的だったKを、ずっと自分より「強く、高い」人間だと感じていた。そのKを、自分は嫉妬から出し抜いた。Kの死後、先生は気づく——自分は、Kという高潔な人間を、自分のエゴのために踏みにじったのだ、と。Kは、先生にとって「こうありたかった理想の人間」だった。その理想を、自分の手で殺した。Kの死は、先生にとって、外の友人の死であると同時に、自分の中の「善くありたい自分」の死でもあった。先生がその後ずっと、生きながら死んでいるように暮らすのは、すでに自分の理想を殺してしまったからだ。

発見3: 漱石は読者に「あなたはどうか」と問いかける

「こころ」の構造そのものが、読者を巻き込むように作られている。物語は、若い「私」が先生の遺書を読む、という形をとる。読者は、その「私」と一緒に、先生の告白を読む位置に置かれる。【解釈】先生の遺書は、単なる過去の懺悔ではない。それは、「人間は、自分が思うほど善良ではない。あなたも、決定的な場面では、自分本位に動くかもしれない」という、読者一人ひとりへの問いかけだ。先生は、自分を特別な罪人としてではなく、近代に生きるすべての個人が抱える「自分本位」という病の、一つの典型として、自分を差し出す。漱石は、わかりやすい教訓を与えない。ただ、一人の人間の心の最も暗い部分を、ごまかさずに見せることで、読者に「では、自分の心はどうなのか」と静かに問う。だから「こころ」というタイトルは、先生の心であると同時に、それを読む私たち自身の心を指している。

あわせて読む

原文を読むには

原文を無料で読めます。青空文庫「こころ」(夏目漱石)(図書カード)。