肖像画は何を象徴しているのか
ドリアン本人は若く美しいまま、肖像画だけが醜く老いていく。この奇妙な仕掛けは、人間の心のどんな真実を映した装置なのか。「良心」と「外見」の分裂として読み解く。
発見1: 肖像画はドリアンの「魂」と「良心」そのものである
ドリアンの肖像画は、彼が罪を犯すたびに、その分だけ醜く、残酷に、老いて変わっていく。一方、ドリアン本人の顔は、無垢で美しいまま、少しも変わらない。【解釈】この絵は、ドリアンの『魂』『良心』の姿だ。普通、人の内面の腐敗は、年月とともに顔や態度ににじみ出る。だがドリアンの場合、その内面の真実が、すべて絵のほうに移し替えられている。つまり、絵は、彼が世間に見せている美しい仮面の『下』にある、本当の自分の姿だ。彼が裏切るたび、人を傷つけるたび、絵の中の自分が醜くなる。良心とは、自分の行いの記録だ。ドリアンの良心は、消えたのではなく、絵という形で、屋根裏に隠されて、刻まれ続けている。
発見2: ドリアンは「罪の結果」から目をそらし続ける
ドリアンは、醜くなっていく肖像画を、屋根裏部屋に隠し、布をかけ、鍵をかけて、誰にも——自分にも——見せないようにする。【解釈】これは、罪の報いから目をそらし続ける人間の心の動きそのものだ。彼は、悪いことをしても、鏡を見れば、そこには美しく無垢な自分がいる。だから、罪の重さを実感せずにすむ。報いを引き受けるべき『本当の自分』は、布をかけて隠してしまえる。人は、自分の良心の呵責を、見ないようにすることができてしまう。だが、見ないからといって、それが消えるわけではない。屋根裏の絵は、彼が享楽に耽っている間も、刻一刻と醜く歪み続けている。隠した良心は、隠した場所で、確実に育ち続けるのだ。
発見3: 外見の美しさと魂の腐敗の「分裂」こそ主題である
この物語の核心は、『外側に見える姿』と『内側の本当の姿』が、完全に分裂してしまうことにある。【解釈】私たちは普通、美しい人を見ると、その内面も善いものと思いがちだ。ドリアンの悲劇は、その思い込みを逆手に取る。彼は、完璧に美しい外見を保つことで、どれほど残酷な罪を犯しても、誰からも疑われない。社会は、彼の美貌に欺かれ続ける。つまりこの物語は、『美しい外見』が、いかに人を欺き、内面の腐敗を覆い隠す仮面になりうるかを描いている。同時にそれは、見た目を取り繕い、本当の自分を隠して生きることの、恐ろしさへの問いでもある。隠し続けた本当の自分と向き合う日は、必ず来る。そのとき、美しい仮面の下から現れるのは、自分が目をそらし続けてきた、醜い真実なのである。
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