人間失格が書かれた時代背景

人間失格(太宰治)の深掘り

本作は1948(昭和23)年、敗戦から3年の日本で発表された。だが手記が描くのは大正末から昭和10年前後の世界である。この「書かれた時代」と「描かれた時代」のずれ、そして作者の死との同時性が、本作の読まれ方を決定づけた。

発表は1948年——連載の完結を作者は見ていない

初出は「展望」1948(昭和23)年6〜8月号(出典: 青空文庫図書カード)。太宰治は1948年6月13日に没しており(同図書カード)、連載がすべて世に出る前に作者はいない。発表と死がほぼ同時だったため、本作は最初から「作家の最後の言葉」として受け取られた。【解釈】作品の評価が作品の外の出来事(作者の死)と融合してしまった、近代日本文学でもっとも極端な例である。「恥の多い生涯を送って来ました」という葉蔵の書き出しは、フィクションの一行でありながら、遺書の一行としても読まれる宿命を負った。この二重露光が、80年近く読者を惹きつけてきた磁力の少なくとも半分を説明する。

手記が描くのは戦前——マルクス主義と「非合法」の時代

葉蔵の青春は大正末から昭和初期、つまり社会主義運動が広がり、同時に激しく取り締まられた時代に置かれている。作中でも葉蔵はマルクス主義の読書会から運動の周縁に出入りするが、その関わり方が独特である。彼を惹きつけるのは思想の中身ではなく、その世界の「非合法」の感触のほうだ——合法の世間でうまく呼吸できない人間にとって、最初から法の外にある場所はむしろ居心地がよい、という倒錯が描かれる(この整理は【解釈】を含む)。理想に燃える同時代の青年群像の裏面で、運動にすら「居場所」としてしか参加できない人間を書いた点で、本作は政治の季節の文学への、静かな注釈にもなっている。

発見: 敗戦後の読者は、戦争で説明できない崩壊を読んだ

1948年の日本は、戦争であらゆる価値の看板が一度倒れた直後である。「人間とは何か」を疑う準備が、読者の側に歴史的規模でできていた。ところが本作の手記には、あの戦争がほとんど現れない。葉蔵の崩壊は空襲でも飢えでも敗戦でもなく、平時の、家庭と学校と社交の中で進行する。【解釈】ここに本作の時代との奇妙な噛み合い方がある。もし葉蔵の破滅が戦争のせいなら、読者は「時代の犠牲者の話」として安全に消費できた。だが彼は時代のせいにできない壊れ方をしている。敗戦で「人間」への信用を失った読者が、戦争と無関係に「人間」を失格していく男の記録を読む——時代がもたらした問いを、時代を言い訳にせずに突きつけてくるからこそ、本作は戦後の一時的な流行で終わらず、時代背景を知らない後世の読者にもそのまま刺さり続けている。

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原文を読むには

原文を無料で読めます。青空文庫「人間失格」(太宰治)(図書カード)。