森鷗外の舞姫の秘密
鷗外自身の体験との関係は?
鷗外自身は「舞姫」の成立について、ベルリン留学中に「うたひ忘れず」と題するメモ書き程度のものを作ったことがあり、帰国後にそれを作品化したと述べています。ただし、そのメモ書きは現存しておらず、実際にどの程度「舞姫」と内容が一致していたのかは不明です。作中に登場する場所や人物、出来事の一部は鷗外の留学体験と重なりますが、物語全体を鷗外の伝記的事実として解釈することはできません。
エリスのモデルは実在した?
「舞姫」のヒロインであるエリスのモデルについては、ベルリンで鷗外と親交のあったドイツ人女性が想定されています。しかし、鷗外はエリスのモデルになった特定の人物を明らかにしていません。当時の資料や証言から、特定の人物をエリスのモデルと断定することは不可能です。
発表当時の反響は?
「舞姫」は1890年に発表されました。当時の読者の間では、主人公の豊太郎がエリスを棄てて帰国する結末に対して、賛否両論の意見が巻き起こりました。特に、女性読者からは豊太郎の行動を非難する声が多数寄せられたと言われています。しかし、作品に対する評価は一様ではなく、「新しい文学」の到来を感じさせる作品として高く評価する意見も見られました。