Skip to content Skip to footer

太宰治の人間失格の思考の枠組み

## 太宰治の人間失格の思考の枠組み

###

「恥の意識」

作中の葉蔵は、幼少期から常に「人間」という存在への恐怖と不信感を抱き、「自分は人間ではないのではないか」という不安に苛まれています。彼は、人間の行動や社会の規範が理解できず、そのズレを埋めるために道化を演じることで、周囲との調和を保とうとします。この道化行為は、彼自身の言葉で「恥の多い生涯を送って来ました」と表現されるように、自己嫌悪と自己卑下を根底としたものでした。

###

「人間への不信と理想化」

葉蔵は人間を深く恐れる一方で、理想的な人間像への憧れも抱いています。彼は純粋さや無垢さを象徴する存在に惹かれ、女性との関係においても、そうした理想像を重ね合わせる傾向が見られます。しかし、現実の人間関係は彼の理想とはかけ離れており、そのギャップが葉蔵を絶望へと突き落とす一因となっています。

###

「自己否定と破滅願望」

葉蔵は自らを「狂人」と規定し、自己を徹底的に否定し続けます。彼は自らの存在を罪悪視し、その罪悪感から逃れるために、酒や薬物、女性関係に溺れていきます。こうした破滅的な行為は、彼にとっての一種の自己処罰であり、同時に人間社会から逃れようとする、絶望的な抵抗でもありました。

###

「芸術への傾倒」

葉蔵は絵画や小説といった芸術に、自身の内面を表現する手段を見出そうとします。彼は芸術を通じて、人間存在の不条理さや自己の苦悩を描き出そうとしますが、同時に、芸術によって救済されることをどこかで期待しているようにも見えます。しかし、彼の芸術活動は、最終的には自己崩壊を食い止めることはできませんでした。

Amazonで購入する

Leave a comment

0.0/5