太宰治の人間失格とアートとの関係
「道化」としての芸術
葉山との心中に失敗し、モルヒネ中毒に陥った大庭葉蔵は、鎌倉に住む堀木のもとに身を寄せます。堀木は葉蔵の絵の才能を見抜き、画商を紹介するなどして、彼の芸術活動を支援します。しかし、葉蔵は人間への恐怖心や絶望感から逃れるようにして絵を描いており、自身のことを「道化」と呼び、芸術に純粋な情熱を傾けているわけではありませんでした。
芸術と「恥の多い生涯」の記録
葉蔵は、「恥の多い生涯」を送ってきた自身の過去を振り返り、それを小説という形で書き記そうとします。葉蔵にとって芸術は、自身の内面を表現し、人間存在の不安や苦悩を露わにするための手段として機能していました。彼は、自画像を描く際に、醜悪な自分を強調するようにと依頼するなど、芸術を通して自己嫌悪や絶望感を表現しようとします。
芸術と人間関係の断絶
葉蔵は、芸術を通して自己表現を試みる一方で、それが人間関係における更なる孤独と孤立を招くことになります。彼は芸術にのめり込むあまり、周囲の人間との関係がおろそかになり、結果として彼らを傷つけることになります。葉蔵にとって芸術は、人間関係の代替物ではなく、むしろ人間存在の苦悩と深く結びついたものでした。