ヴォルテールの哲学書簡の選択
イギリス社会について - 第六信 アリストテレスについて -
この書簡では、ヴォルテールはイギリスとフランスにおけるアリストテレス哲学の受容の違いについて論じています。
まず、ヴォルテールは、フランスではアリストテレスが盲目的に崇拝され、彼の権威が絶対的なものとして扱われていると批判します。フランスでは、アリストテレスの著作を批判することは、聖書を冒涜することと同じくらい重大な罪と見なされ、人々は彼の教えに疑問を抱くことすら許されませんでした。
一方、イギリスでは、アリストテレスは他の哲学者と同様に、一人の学者として扱われていました。イギリスの学者たちは、アリストテレスの著作を批判的に読み解き、彼の誤りを指摘することをためらいませんでした。ヴォルテールは、イギリスの学者たちがアリストテレスに対して取った態度は、理性と経験に基づいた真の学問のあり方を示すものだと賞賛しています。
イギリス社会について - 第十二信 デカルトについて -
この書簡では、ヴォルテールは、フランスの哲学者デカルトの功績を認めながらも、彼の哲学には限界があると指摘しています。
ヴォルテールは、デカルトが「我思う、ゆえに我あり」という命題によって、人間の思考の確実性を証明しようとしたことを高く評価しています。しかし、ヴォルテールは、デカルトがそこから先、物質世界についての確実な知識を得ることに失敗したと批判します。デカルトは、神の存在を証明し、神は人間を欺かないという前提から、物質世界もまた確実なものだと結論づけようとしました。しかし、ヴォルテールは、神の存在証明は確実なものではなく、デカルトの論理は破綻していると指摘します。
ヴォルテールは、デカルトの哲学は、人間の理性に対する過剰な信頼に基づいており、経験の重要性を軽視していると批判します。彼は、真の知識は、理性と経験の両方に基づいて築かれるべきだと主張します。