ヴェブレンの企業の理論の対極
アダム・スミスの『国富論』における「見えざる手」
ソーンステイン・ヴェブレンの「企業の理論」(1899年)は、企業家が利潤を追求するあまり、産業の効率性や社会全体の幸福を犠牲にすることがあると主張し、大きな反響を呼びました。ヴェブレンは、企業家が自己の利益のために生産を制限したり、価格を吊り上げたり、広告やマーケティングを通じて消費者の購買意欲を不当に刺激したりする状況を批判的に分析しました。
一方、アダム・スミスの『国富論』(1776年)は、自由放任主義経済学の基礎を築いた古典派経済学の金字塔として知られています。スミスは、個人は自己利益を追求することで、結果として社会全体の利益にも貢献すると論じました。市場メカニズムは、まるで「見えざる手」に導かれるように、資源を最も効率的に配分し、生産を促進すると説明しました。
スミスは、競争の重要性を強調し、政府による市場介入は最小限に抑えるべきだと主張しました。彼は、独占や特権は、市場メカニズムを歪め、社会全体の富を減少させると批判しました。スミスは、自由な競争こそが、イノベーションを促進し、価格を抑制し、消費者に最大の利益をもたらすと信じていました。
ヴェブレンとスミスは、企業の役割、市場メカニズムの評価、政府の役割など、経済学の根本的な問題について対照的な見解を示しました。ヴェブレンは、企業の行動が社会に悪影響を及ぼす可能性を指摘し、政府による規制の必要性を訴えました。一方、スミスは、自由な市場こそが、繁栄と進歩の源泉であると主張しました。