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ロックの寛容についての書簡の世界

## ロックの寛容についての書簡の世界

ロックが書簡を執筆した時代背景

ロックが「寛容についての書簡」を執筆した17世紀後半のイギリスは、宗教改革以降、カトリックとプロテスタントの対立が続いていました。
ピューリタン革命を経て王政が復活したものの、カトリックとプロテスタントのどちらを国教とするか、また、どの程度の宗教的寛容を認めるべきかについて、激しい議論が交わされていました。

書簡が出版された経緯

「寛容についての書簡」は、もともとロックが友人であるフィリップ・ファン・リンボーへ宛てた私信でした。
リンボーはオランダの宗教的寛容の状況についてロックに意見を求め、それに対する返答として書かれたものがこの書簡です。
書簡はその後、リンボーによって無断で出版され、大きな反響を呼びました。

書簡で展開される主張の内容

ロックは書簡の中で、政府は個人の内面的な信仰心には介入すべきではないと主張し、宗教的寛容の必要性を訴えました。
彼は、個人が自らの良心にもとづいて自由に信仰を選択する権利を擁護し、国家が特定の宗教を強制することの不当性を論じました。
ただしロックは、無神論者やカトリック教徒など、当時の社会秩序を乱す可能性があると彼が考えた集団に対しては、寛容の対象から除外していました。

書簡の影響と評価

「寛容についての書簡」は、出版当時から大きな議論を巻き起こし、啓蒙主義における重要なテキストの一つとして、その後の西欧社会における宗教的寛容の進展に大きな影響を与えました。
彼の思想は、アメリカ合衆国憲法における政教分離の原則などにも影響を与えているとされています。

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