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ロストフツェフのヘレニズム世界社会経済史の対極

## ロストフツェフのヘレニズム世界社会経済史の対極

エドワード・ルッツェルマンの晩期共和政ローマ

ミハイル・ロストフツェフの『ヘレニズム世界社会経済史』(1941年)は、アレクサンドロス大王の東方遠征後、ローマ帝国成立以前の地中海世界を「ヘレニズム」という文化概念で捉え、その経済的繁栄と社会構造を詳細に分析した記念碑的作品です。ロストフツェフは、ギリシア文化の東方への広がりと、それによる都市化・商業化の進展を強調し、ヘレニズム時代を古代社会における「近代」と位置づけました。

ロストフツェフへの批判

しかし、ロストフツェフのこの見解は、その後の研究の進展とともに多くの批判にさらされることになります。特に、彼の近代化論的な視点は、古代社会の複雑さを過度に単純化しているという指摘がなされました。

ルッツェルマンの主張

ロストフツェフの「ヘレニズム近代」説に対抗する代表的な研究として挙げられるのが、エドワード・ルッツェルマンの『晩期共和政ローマ』(1965年)です。ルッツェルマンは、ローマ帝国の繁栄の基盤となった共和政末期の社会経済構造を分析し、ロストフツェフとは対照的に、古代社会における「近代」の萌芽を否定しました。

ルッツェルマンは、ローマ社会における奴隷制の広範な浸透に着目し、これが古代社会の経済発展を阻害する要因となったと主張しました。彼は、奴隷労働への依存が、技術革新の停滞や生産性の低さを招き、結果として古代社会は近代資本主義社会とは異なる発展経路を辿ったと結論づけました。

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