ロストフツェフのヘレニズム世界社会経済史が扱う社会問題
都市と農村の格差
ロストフツェフは、ヘレニズム時代における都市国家の繁栄と農村部の疲弊という対照的な状況を描き出しています。アレクサンドロス大王の東方遠征以降、ギリシア文化がオリエント世界に広がり、コスモポリタン的な大都市が各地に誕生しました。これらの都市は商業や産業の中心地として栄え、 wealthy な市民層を形成しました。
一方で、農村部では伝統的な自給自足経済が崩れ、大土地所有制が進行しました。これは、戦争による土地の荒廃や、都市への人口流入によって農村の労働力が不足したことが原因です。結果として、多くの農民は土地を失い、小作農や農業労働者としてギリシア人やオリエント人の大地主の下で働くことを余儀なくされました。
社会階層の固定化
ヘレニズム社会は、都市市民、ギリシア人、オリエント人といった複雑な階層構造を持つようになりました。都市市民は政治的な権利や経済的な特権を享受し、ギリシア人はオリエント人よりも優遇されていました。
ロストフツェフは、このような社会階層の固定化が、社会不安や政治的な混乱の一因になったと指摘しています。特に、農村部における貧富の格差の拡大は、社会不安を増大させ、反乱や内戦を招く要因となりました。
ギリシア文化とオリエント文化の融合と対立
ヘレニズム時代は、ギリシア文化とオリエント文化が融合し、新たな文化が生まれた時代でもありました。しかし、ロストフツェフは、この文化融合は必ずしも円滑に進んだわけではなく、両文化間の摩擦や対立も生み出したと指摘しています。
例えば、宗教や習慣の違いから、ギリシア人とオリエント人の間で相互不信や偏見が生じることがありました。また、ギリシア文化の影響を受けたオリエントの支配層と、伝統的な文化を守ることを望む人々の間で対立が生じることもありました。
王政の台頭と民主政の衰退
ヘレニズム時代には、アレクサンドロス大王のディアドコイ(後継者)たちによって巨大な王国が建設されました。これらの王国は、強力な王権によって支配され、伝統的な都市国家の自治は制限されました。
ロストフツェフは、王政の台頭と民主政の衰退を、ヘレニズム時代の大きな特徴の一つとして捉えています。彼は、王権は社会秩序を維持し、経済発展を促進する上で一定の役割を果たしたと評価しています。
しかし同時に、王権の強化は市民の政治参加を制限し、専制政治や腐敗をもたらす危険性も孕んでいたと指摘しています。