ルターのキリスト者の自由の構成
序論
ルターは、この書を「愛から出ているにもかかわらず、完全に学問的であるように書かれた」と述べています。彼は、キリスト教の自由とは何であるかを明確に示し、誤解を解きたいと考えていました。特に、ルターは当時の教会で横行していた、人間の努力や功績によって神の恵みや救いが得られるという考え方を否定しています。
第一部:キリスト者は信仰によってすべてのものに自由である
第一部では、「キリスト者は霊においてどのように自由であるか」が論じられます。ルターは、人間は罪によって霊的に死んでいるため、自らの力では神に近づくことができないと述べています。しかし、キリストを信じる信仰によってのみ、人は義とされ、真の自由を得ることができると主張します。
この真の自由とは、律法からの自由ではなく、罪と死からの自由です。キリスト者は、信仰によって神の子供とされ、もはや律法の呪いのもとにはいません。そして、愛から進んで神の意志を行い、隣人に仕えるようになります。
第二部:キリスト者は愛によってすべてのものの僕である
第二部では、「キリスト者は愛によってどのようにすべてのものの僕であるか」が論じられます。ルターは、キリスト者が信仰によって得た自由は、自己中心的で無責任なものではないことを強調します。真に自由なキリスト者は、隣人への愛によって動かされ、進んで仕える者となります。
ルターは、キリストが私たちを罪から解放するために、自らを低くして僕となったことを例に挙げています。同様に、キリスト者は、自由であるにもかかわらず、隣人に仕え、その必要を満たすために自分をささげるべきだと説いています。
この二つの部分は、キリスト者の自由というものが持つ、一見矛盾する二つの側面を明らかにしています。すなわち、信仰による罪と律法からの自由と、愛による隣人への奉仕です。ルターは、この二つは決して矛盾するものではなく、真のキリスト教的生活にはどちらも不可欠であると主張しています。