## ルターのキリスト者の自由の思想的背景
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中世後期の教会と社会
16世紀初頭のヨーロッパは、中世から近代への転換期にあたり、社会構造や人々の価値観が大きく変化しつつありました。 特に、教会の権威と結びついた封建社会の枠組みが揺らぎ始め、新しい思想や文化が生まれていました。 当時の教会は、人々の日常生活に深く関わっており、信仰生活だけでなく、政治、経済、社会など、あらゆる面で大きな影響力を持っていました。
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免罪符販売とルターの反応
こうした時代背景の中、ローマ教皇庁は、サン・ピエトロ大聖堂の改築費用を捻出するため、免罪符を販売していました。 免罪符とは、金銭と引き換えに、過去に犯した罪の償いを軽減したり、将来犯すかもしれない罪をあらかじめ赦したりするとされるものでした。 ルターは、免罪符販売が聖書の教えに反する行為であると批判し、1517年10月31日、ヴィッテンベルク城教会の扉に「95ヶ条の論題」を貼り出して、公の議論を呼びかけました。
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聖書の権威と信仰義認説
ルターは、「95ヶ条の論題」の中で、免罪符の効力を否定するだけでなく、教会の腐敗を批判し、聖書の権威を強調しました。 ルターは、教会の伝統や教皇の権威よりも、聖書こそが唯一の信仰の基準であると主張しました。 また、ルターは、「人は信仰のみによって義とされる」という信仰義認説を主張しました。 これは、人が救われるためには、自らの行いや功績ではなく、イエス・キリストを信じる信仰だけが必要であるという考え方です。
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ルターの思想と「キリスト者の自由」
ルターのこれらの主張は、当時の教会の権威に挑戦するものであり、大きな波紋を呼びました。 ルターは、1520年に教皇レオ10世から破門されますが、その後も聖書のドイツ語訳を出版するなど、宗教改革運動を精力的に展開しました。 そして、1520年、ルターは「キリスト者の自由」を著し、信仰によって義とされたキリスト者は、あらゆる束縛から解放され、真の意味で自由であると宣言しました。