ルカーチの歴史と階級意識を読む前に
ルカーチの生涯と時代背景
ルカーチ・ジェルジ(György Lukács、1885-1971)は、ハンガリー出身の哲学者、文芸批評家です。彼は20世紀前半のマルクス主義思想に多大な影響を与えた思想家の一人として知られています。彼の代表作である『歴史と階級意識』(1923年)は、マルクスの思想をヘーゲル弁証法や西洋哲学の伝統と結びつけ、独自の唯物史観を展開したことで高く評価されています。
ルカーチの思想を理解するためには、まず彼の生きた時代背景を知る必要があります。ルカーチは、19世紀末から20世紀初頭にかけてのヨーロッパ、特にオーストリア=ハンガリー帝国の激動期に青春時代を過ごしました。この時期は、資本主義の矛盾が先鋭化し、第一次世界大戦へと突き進んでいく時代でした。このような時代背景の中で、ルカーチは、マルクス主義に出会い、それを通じて、社会の矛盾や歴史の進歩の法則を理解しようとしました。
また、ルカーチは、青年期に、ドイツ観念論哲学、特にヘーゲルの弁証法に深く傾倒しました。ヘーゲルの哲学は、歴史を精神の自己展開として捉え、その過程で矛盾や対立を乗り越えて、より高次の段階へと発展していくという思想です。ルカーチは、ヘーゲルの弁証法をマルクス主義の唯物論と結びつけ、独自の唯物史観を構築しました。
マルクス主義の基本的な理解
『歴史と階級意識』は、マルクス主義の古典の一つとされていますが、その内容は決して平易ではありません。ルカーチは、マルクスの思想を、ヘーゲル弁証法や西洋哲学の伝統と結びつけ、独自の解釈を加えています。そのため、『歴史と階級意識』を読む前に、マルクス主義の基本的な概念を理解しておくことが重要です。
マルクス主義とは、19世紀のドイツの思想家カール・マルクスによって創始された思想体系です。マルクスは、ヘーゲル弁証法の影響を受けながら、独自の唯物史観を展開しました。唯物史観とは、歴史を物質的な生産活動の過程として捉え、社会の発展を生産力と生産関係の矛盾によって説明する考え方です。
マルクスは、資本主義社会を、資本家階級と労働者階級という二つの階級が対立する社会として分析しました。資本家階級は、生産手段を私有し、労働者階級から搾取することで利潤を得ています。一方、労働者階級は、自分の労働力を売ることで生活しています。このような階級対立は、資本主義社会に固有のものであり、その矛盾を解消するためには、労働者階級が革命によって資本主義社会を overthrow し、社会主義社会を実現する必要があるとマルクスは主張しました。
ヘーゲル弁証法への入門
ルカーチは、マルクス主義を解釈する上で、ヘーゲル弁証法を重要な方法論として用いています。ヘーゲル弁証法とは、ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルによって体系化された弁証法の一種です。
ヘーゲル弁証法の特徴は、正、反、合という三つの段階からなる思考の運動を重視することにあります。まず、「正」と呼ばれる最初の段階では、ある概念が提示されます。次に、「反」と呼ばれる第二の段階では、最初の概念に対して、その矛盾や限界を指摘する対立概念が提示されます。そして最後に、「合」と呼ばれる第三の段階では、最初の概念と対立概念を統合し、より高次の概念へと発展させます。この三段階の運動を繰り返すことによって、思考は、より高次で包括的なものへと発展していくとヘーゲルは考えました。
ルカーチは、ヘーゲル弁証法をマルクス主義に応用し、資本主義社会における階級闘争や歴史の発展を、正、反、合の弁証法的な運動として捉えました。
「物象化」と「疎外」の概念
ルカーチは、『歴史と階級意識』の中で、「物象化」と「疎外」という概念を重要なキーワードとして用いています。
「物象化」とは、人間の意識や活動が、客観的な物や制度として、人間に対峙するようになる過程を指します。例えば、労働者は、自分の労働力を資本家に売ることで、賃金を得て生活しています。しかし、資本主義社会では、労働は、労働者自身のものではなく、資本家によって支配され、管理される対象となっています。その結果、労働は、労働者自身から切り離された、客観的な「もの」として、労働者に対峙するようになります。これが「物象化」です。
「疎外」とは、物象化によって、人間が、本来、自分自身のものであるはずのもの、例えば、自分の労働や、その産物、さらには自分自身からさえも、切り離されてしまう状態を指します。労働者は、自分の労働が「物象化」されることによって、自分の労働から「疎外」されます。その結果、労働者は、自分の労働に対して、喜びや生きがいを見出すことができなくなり、ただ単に、賃金を得るための手段として、労働を強いられるようになります。
「階級意識」の概念
『歴史と階級意識』の中心的なテーマは、「階級意識」です。ルカーチは、マルクスの階級概念を発展させ、階級意識を、単なる経済的な利害に基づくものではなく、社会全体の変革を目指す主体的な意識として捉えました。
ルカーチによれば、「階級意識」とは、労働者階級が、自己の置かれた歴史的状況を客観的に認識し、その状況を打破するために、主体的に行動するようになることを意味します。労働者階級は、資本主義社会において、搾取と疎外に苦しむ存在ですが、同時に、資本主義社会を乗り越え、新しい社会を創造する可能性を秘めた存在でもあります。
ルカーチは、「階級意識」の形成にとって、「知識人」の役割を重視しました。知識人は、労働者階級の側に立って、彼らが自己の置かれた状況を客観的に認識し、「階級意識」を獲得するのを助ける役割を担います。