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リストの政治経済学の国民的体系を読む

## リストの政治経済学の国民的体系を読む

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リストの『国民経済学』を読むにあたって

フリードリヒ・リストの主著『国民経済学の国民的体系』(1841年)は、19世紀前半のドイツ関税同盟の成立と発展、そしてドイツ統一のプロセスの中で生まれた経済学書です。当時のドイツは、イギリスをはじめとする先進工業国からの輸入攻勢にさらされており、国内産業は疲弊していました。リストはこのような状況を打開するために、国内産業を保護育成し、国家の経済力を強化する必要性を説きました。

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保護主義と自由貿易の論争

リストは、アダム・スミスやデヴィッド・リカードらの唱える自由貿易論に対して、それがイギリスのようなすでに工業化を達成した国家の論理であると批判しました。そして、後発国であるドイツのような国は、自由競争にさらされるだけではイギリスに搾取され続けることになり、独自の産業を育成するためには保護主義政策が必要であると主張しました。

彼の主張の根幹には、「幼稚産業保護論」があります。これは、後発国の産業は国際競争力が弱いため、初期段階においては関税などの保護政策によって外国との競争から保護し、育成する必要があるという考え方です。リストは、保護の最終的な目標は自由貿易の実現にあるとしつつも、それはあくまで各国が経済的に発展し、対等な立場に立った後であるべきだとしました。

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国民経済と生産力

リストは、国家の経済力を測る指標として、単なる物質的な富だけでなく、精神的な力や道徳、文化、芸術、科学、教育なども含めた「生産力」を重視しました。そして、国民経済の目標は、単に国民の物質的な生活水準を高めることだけでなく、国民の精神的な力を高め、国家全体の力を向上させることにあるとしました。

このような考えに基づき、リストは国家による積極的な介入の必要性を説きました。具体的には、関税政策による国内産業の保護育成、交通網の整備、教育制度の充実、科学技術の振興など、国家が主導的に経済発展を推進していくべきだと主張しました。

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国民経済学の国民的体系

リストの経済学は、特定の普遍的な法則を重視する古典派経済学とは異なり、歴史的・現実的な視点から、それぞれの国家の置かれた状況に応じて最適な経済政策は異なるという立場を取ります。彼の主張は、当時のドイツの置かれた状況を反映したものであり、その後のドイツの経済発展に大きな影響を与えました。

リストの著作は、単なる経済学書を超えて、国家建設の指針として、あるいは国民統合の思想として、広く読者に受け入れられました。彼の思想は、現代においても、グローバリゼーションの進展に伴う経済格差の拡大や国家間競争の激化といった問題を考える上で重要な視点を提供しています。

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