## リストの政治経済学の国民的体系に関連する歴史上の事件
### 18世紀後半から19世紀前半のドイツの状況
リストの政治経済学は、18世紀後半から19世紀前半のドイツの置かれた状況から生まれました。当時のドイツは、政治的に分裂し、経済的にもイギリスの後塵を拝していました。イギリスは産業革命を先駆し、自由貿易政策によって世界中に製品を輸出していました。一方、ドイツは小国に分裂し、国内市場も狭く、イギリスの安価な製品に苦しめられていました。
### ナポレオン戦争と大陸封鎖令の影響
ナポレオン戦争と大陸封鎖令は、ドイツ経済に大きな影響を与えました。イギリスに対抗するためにナポレオンが1806年に発令した大陸封鎖令は、ヨーロッパ大陸諸国とイギリスの貿易を禁じるものでした。これによってドイツはイギリスから工業製品を輸入することができなくなり、国内産業を保護・育成する必要に迫られました。
### ドイツ関税同盟の成立と発展
大陸封鎖令を契機に、ドイツ諸国は経済的な連携を強め始めます。1818年にはプロイセンを主導としてドイツ関税同盟が結成され、1834年にはドイツ連邦の大部分を含むまでになりました。関税同盟は、域内の関税を撤廃し、対外的には共通の関税率を適用することで、国内市場の拡大と産業の保護を図りました。リスト自身も、関税同盟の設立運動に積極的に関わっています。
### 産業革命の進展とイギリスの自由貿易政策
19世紀に入ると、産業革命はイギリスからヨーロッパ大陸諸国にも広がっていきました。しかし、イギリスと比較して後発であったドイツは、自由競争では太刀打ちできませんでした。このような状況下で、リストはイギリスの自由貿易政策を批判し、自国の産業を保護・育成するための保護貿易政策の必要性を主張しました。
### アメリカ合衆国の保護貿易政策
リストは、アメリカ合衆国をイギリスの自由貿易政策に対抗して自国の産業を育成した好例として挙げました。アメリカは独立後、イギリスからの輸入品に対して高い関税をかける保護貿易政策を採用し、国内産業を保護してきました。その結果、アメリカは19世紀後半には世界有数の工業国へと発展しました。
### リストの主張とドイツの経済発展
リストは、自由貿易はすでに経済的に優位に立っている国家にのみ有利な政策であり、後発国は自国の経済力を高めるまで保護貿易政策によって国内産業を保護する必要があると主張しました。彼の主張は、当時のドイツの置かれた状況と合致しており、多くの支持を集めました。そして、ドイツはリストの主張する保護貿易政策を採用し、重工業を中心に産業を育成、19世紀後半にはイギリスと肩を並べる経済大国へと成長しました。