モンテスキューのローマ人盛衰原因論の機能
モンテスキューの「ローマ人盛衰原因論」の機能
モンテスキューは、1734年に『ローマ人盛衰原因論』を発表しました。これは、古代ローマ帝国の勃興と衰退の原因を分析した歴史書です。しかし、本書は単なる歴史書ではなく、当時のフランス社会に対する政治的なメッセージを含んだ書でもありました。
共和政ローマへの賞賛と君主制への批判
モンテスキューは、共和政ローマの建国期における質実剛健さと、自由と法の支配に基づく政治体制を高く評価しました。そして、ローマが強大な帝国へと成長できたのは、これらの共和政の精神と制度があったからだと論じました。一方で、ローマ帝国の衰退の原因は、贅沢と腐敗、そして専制政治の台頭にあると分析しました。
当時のフランス社会への警鐘
モンテスキューは、ローマ帝国の衰退と当時のフランス社会を重ね合わせて見ていました。当時のフランスは、ルイ14世の治世以降、絶対王政の下で貴族社会が腐敗し、国民は重税に苦しんでいました。モンテスキューは、ローマ帝国の衰退を歴史の教訓として、フランスもまた同じ道を辿る危険性があると警告を発したのです。
政治体制論への展開
『ローマ人盛衰原因論』で展開された歴史分析は、モンテスキューの代表作である『法の精神』へと繋がっていきます。『法の精神』でモンテスキューは、自由と安全を保障する政治体制として、権力分立制を提唱しました。これは、ローマ共和政における執政官、元老院、民会の三権分立を理想としたものでした。
このように、『ローマ人盛衰原因論』は、単なる歴史書ではなく、当時のフランス社会に対する政治的なメッセージを含み、さらにはモンテスキュー自身の政治体制論へと発展していく重要な著作であったと言えます。
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