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モンテスキューのローマ人盛衰原因論の対極

## モンテスキューのローマ人盛衰原因論の対極

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モンテスキューの主張

モンテスキューは『ローマ人盛衰原因論』において、ローマ帝国の繁栄と衰退を主に政治体制と軍事力の変遷から説明しました。 共和制の virtù(徳)によって支えられた強靭な軍隊が、領土の拡大とともに腐敗し、贅沢と権力闘争に溺れた結果、専制政治へと転落し、最終的に滅亡に至ったと主張しました。

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対極に位置する歴史的名著:エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』

モンテスキューの主張に対して、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』は、ローマ帝国の衰退をより多角的な要因から分析しており、対極に位置する歴史的名著と言えるでしょう。

ギボンは、ローマ帝国の衰退を、単一の要因に還元することはできない複雑な現象として捉え、政治、軍事、経済、社会、文化、宗教など、多岐にわたる側面から分析を試みました。

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ギボンの主張:多角的な要因分析

ギボンは、ローマ帝国の衰退の原因として、以下のような要因を挙げ、それぞれの要因が複雑に絡み合いながら帝国の衰退を招いたと主張しました。

* **キリスト教の興隆:** キリスト教の禁欲主義的な倫理観が、ローマの伝統的な市民道徳や軍事精神を弱体化させたと主張しました。
* **蛮族の侵入:** ゲルマン民族など、外部からの圧力の増大が、帝国の軍事力と経済を圧迫したことを指摘しました。
* **帝国の過度な拡大:** 領土の拡大が、行政機構の肥大化と財政の逼迫を招き、統治能力を低下させたと分析しました。
* **社会の腐敗と堕落:** 贅沢と享楽の蔓延が、市民の道徳心を低下させ、社会全体の活力を奪ったと指摘しました。

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両者の比較

モンテスキューが政治体制と軍事力に焦点を当て、ローマ人の virtù の衰退を重視したのに対し、ギボンはより包括的な視点から、宗教、社会、文化といった多様な要因を考慮し、帝国衰退の要因を分析しました。

このように、モンテスキューが単一の原因に焦点を当てたのに対し、ギボンは複合的な要因を重視した点において、両者の歴史観は対照的であると言えます。

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