## モンテスキューのローマ人盛衰原因論とアートとの関係
モンテスキューは「ローマ人盛衰原因論」の中で、ローマ帝国の興隆と衰退の要因を多角的に分析していますが、アートに関する直接的な言及は多くありません。しかし、彼の論考の中には、間接的にアートとローマの興衰の関係を読み解くことができる箇所が存在します。
モンテスキューが重視した「徳」とアートの関係性
モンテスキューはローマの興隆の要因として、共和政初期におけるローマ市民の「徳」を高く評価しています。この「徳」は、公共善を優先し、祖国への献身と自己犠牲を厭わない精神であり、質素で倹約を尊ぶ生活態度と結びついていました。
初期ローマにおいて、アートは奢侈や退廃と結びつけられるものではなく、むしろ「徳」を涵養し、市民の愛国心を高めるための手段として捉えられていた可能性があります。例えば、英雄の武勇伝を描いた彫刻や、祖先の偉業を讃える神殿の装飾などは、市民に共和政の理想や伝統を想起させ、高潔な精神を育む役割を果たしていたと考えられます。
贅沢の蔓延とアートの変容
しかし、ローマが領土を拡大し、富と権力が集中するようになると、かつての質実剛健な気風は失われ、贅沢と享楽が蔓延していきます。モンテスキューは、このような風俗の退廃がローマ衰退の大きな要因の一つであると指摘しています。
贅沢の蔓延は、アートにも大きな影響を与えました。個人的な欲望を満たすための豪華な邸宅や別荘が建設され、それらを飾るために、異国情緒あふれる美術品や、技巧を凝らした装飾品が求められるようになりました。
かつては公共の目的のために用いられていたアートは、次第に権力者や富裕層の虚栄心を満たすための道具へと変質していったのです。モンテスキューは、このような変化を直接的に論じているわけではありませんが、贅沢の蔓延がローマの「徳」を蝕み、衰退を招いたとする彼の主張は、アートの変容についても示唆を与えていると言えるでしょう。