## メルヴィルの白鯨を深く理解するための背景知識
１９世紀アメリカの捕鯨業について
１９世紀、アメリカは世界有数の捕鯨国家でした。捕鯨は国にとって重要な産業であり、鯨油は灯油や潤滑油として、鯨のひげはコルセットや傘の骨など様々な用途に用いられ、人々の生活に欠かせないものでした。捕鯨船はアメリカ東海岸のナンタケット島やニューベッドフォードなどの港町を拠点に、世界中の海へと航海に出ました。航海は数年にも及ぶ過酷なもので、船員たちは嵐や病気、飢餓、そして鯨との死闘といった危険に常に晒されていました。
捕鯨は単なる産業ではなく、アメリカの文化や国民性にも深く関わっていました。鯨との闘いは人間の勇気と自然に対する挑戦を象徴し、捕鯨船はフロンティア精神を体現する存在として捉えられました。また、捕鯨によって得られた富はアメリカの経済発展を支え、捕鯨船員たちの冒険譚は人々の心を掴み、多くの文学作品や絵画の題材となりました。
メルヴィル自身も若い頃に捕鯨船に乗り組んでおり、「白鯨」には当時の捕鯨の様子が克明に描写されています。小説に登場する捕鯨船ピークォッド号のモデルとなったのは、メルヴィルが乗船していたアクシュネット号と言われています。また、作中に登場する様々な捕鯨技術や道具、船員たちの生活、鯨の種類や生態に関する描写は、メルヴィル自身の経験に基づいたリアリティのあるものです。
ハーマン・メルヴィルの生涯と作品
ハーマン・メルヴィルは１８１９年、ニューヨークで裕福な商人の家に生まれました。しかし、父親の事業の失敗により、幼い頃に貧困を経験します。１２歳で学校を中退し、様々な職業を転々とした後、１８４１年に捕鯨船に乗り組み、南太平洋へと航海に出ました。この経験はメルヴィルの作家人生に大きな影響を与え、後の作品に多くの題材を提供することになります。
メルヴィルは１８４４年に帰国後、「タイピー」（１８４６年）、「オムー」（１８４７年）など、南太平洋での体験を基にした冒険小説を発表し、人気作家となります。しかし、「白鯨」（１８５１年）は当時の読者には難解で晦渋な作品と受け止められ、商業的には成功しませんでした。その後もメルヴィルは「ピエール」（１８５２年）、「詐欺師」（１８５７年）などの作品を発表しますが、生前は高い評価を得ることはありませんでした。
メルヴィルは晩年、ニューヨークの税関で働きながら詩作を続け、１８９１年に亡くなりました。彼の死後、２０世紀初頭になって「白鯨」が再評価され、アメリカ文学を代表する傑作として認められるようになりました。メルヴィルの作品は、人間の深層心理や善悪の二元論、自然の力強さといったテーマを、象徴的な表現や多様な文体によって描き出したものとして、現代においても高く評価されています。
聖書と神話の影響
「白鯨」には聖書やギリシャ神話など、様々な文学作品や思想からの影響が見られます。特に旧約聖書は、作中の登場人物やモチーフ、テーマなどに大きな影響を与えています。例えば、エイハブ船長は、神の意志に逆らいながらも自身の運命に立ち向かう旧約聖書の登場人物ヨブやアハブ王を彷彿とさせます。また、白鯨モビー・ディックは、神のような超越的な存在であり、人間の理解を超えた自然の象徴として描かれています。
作中には、聖書からの引用や言及が多数登場し、登場人物たちの会話や独白にも聖書的な表現が用いられています。また、鯨の生態や捕鯨に関する描写にも、聖書の創世記やヨナ書の物語が反映されていると考えられています。
ギリシャ神話の影響も、作中の様々な場面で見られます。例えば、エイハブ船長の執念深い復讐心は、ギリシャ神話の英雄アキレウスを彷彿とさせます。また、白鯨モビー・ディックは、海神ポセイドンや海の怪物ケートスなど、ギリシャ神話に登場する海の脅威を象徴する存在としても解釈できます。
これらの聖書や神話の要素は、単なる引用や模倣ではなく、メルヴィル独自の解釈によって作品に織り込まれています。メルヴィルは、聖書や神話の物語をモチーフとして用いることで、人間の根源的な欲望や苦悩、自然との関係といった普遍的なテーマを、より深く掘り下げて描こうとしたと考えられます。
１９世紀アメリカの社会と文化
「白鯨」は、１９世紀アメリカの社会や文化を背景に、人間の様々な側面を描いた作品でもあります。当時のアメリカは、産業革命や westward expansion（西への領土拡大）によって急速な発展を遂げていましたが、同時に、奴隷制や貧富の格差、人種差別といった社会問題も抱えていました。
作中には、様々な人種や国籍の船員が登場し、当時のアメリカの多様性を反映しています。また、エイハブ船長の狂気的な復讐心は、当時のアメリカ社会における競争主義や物質主義の行き過ぎに対する批判として解釈することもできます。
さらに、「白鯨」は、人間の自然に対する畏敬の念や、自然との共存の重要性を訴える作品としても読み解くことができます。当時のアメリカでは、自然は征服すべき対象として捉えられる傾向がありましたが、メルヴィルは、白鯨モビー・ディックを通して、人間の力では及ばない自然の脅威と、自然に対する畏敬の念を描いています。
これらの背景知識を踏まえることで、「白鯨」をより深く理解し、作品が持つ多様な意味や魅力を発見することができます。
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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。