ミルトンの復楽園の仕組み
ミルトンが意図した「復楽園」の意味
ジョン・ミルトンが『失楽園』で描いた「復楽園」は、エデンの園への回帰や物理的な楽園の創造を意味するものではありません。 彼の構想は、より精神的で内面的なものでした。
ミルトンは、アダムとイヴが楽園追放によって物質的な楽園を失った代わりに、自己認識と自由意志を獲得したという点に注目しました。 彼らにとって「知る」ことは、善悪の区別なく、無垢な存在でいることよりも価値のあるものとされました。
この「知る」という行為を通して、人間は神との真の関係性を築き、神の意志に従うのではなく、自らの選択によって神を愛し、神に仕えることができるようになるとミルトンは考えました。
「復楽園」に至る道筋 – キリストの犠牲と人間の努力
ミルトンは、キリストの犠牲がこの「復楽園」を可能にしたと説いています。 キリストの贖罪によって、人類は罪の赦しを得て、神との和解への道が開かれました。
しかし、ミルトンは「復楽園」の達成を自動的なものとは考えていません。 人間自身の不断の努力、すなわち、理性と意志の力によって、神を理解し、神に従うことを選択し続けなければならないのです。
この「努力」には、禁欲的な生活や自己犠牲などが含まれますが、それ以上に重要なのは、自己を理解し、神との正しい関係を築き、維持しようとする精神的な闘争です。
「復楽園」の舞台 – 内面世界と外面世界
ミルトンの「復楽園」は、特定の場所や時間、状態を指すのではありません。 それは、人間の魂の内側に構築される精神的な状態であり、外的な状況に左右されることなく、常に実現の可能性を秘めているものです。
『失楽園』は、楽園を失ったアダムとイヴが、苦難と試練を経験しながらも、最終的には「心の中に楽園」を見出すまでを描いています。 この「心の中の楽園」こそが、ミルトンの考える「復楽園」の姿なのです。
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