## ミルトンの失楽園と時間
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時間認識の相違
「失楽園」において、時間は神と人間、そしてサタンといった存在によって異なる形で認識されています。
神にとって時間は永遠であり、過去も現在も未来もすべて見通すことができます。
>「我々には終焉がない。始まりもないのだ。」(第1巻55-56行)
一方、人間は時間の流れの中に生きています。アダムとイブはエデンの園で楽園の時間を過ごしますが、その時間は有限です。彼らは過去を回想し、未来を想像することができますが、神のように時間を超越することはできません。
サタンは、神と人間の間に位置する存在として描かれ、時間に対して複雑な感情を抱いています。彼はかつて天国にいたため永遠の時間を経験していますが、堕落した後は時間的制約から逃れられなくなりました。サタンは自らの敗北と永遠の苦しみを予感しており、時間を憎悪の対象としています。
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時間と自由意志
「失楽園」における時間は、人間の自由意志と密接に関係しています。神は人間に自由意志を与え、善悪の選択を委ねました。アダムとイブは、神の命令に従い続ける限り楽園で永遠の命を享受できましたが、禁断の果実を食べるという選択をしたことで、時間の流れに身を置くことになります。
彼らの選択は、過去を変えることはできず、未来に影響を与えるものでした。楽園追放は、彼らが時間の中で生きる存在になったことを象徴しています。
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時間の経過の描写
ミルトンは、「失楽園」において、様々な方法で時間の経過を描写しています。
例えば、天上の戦争の場面では、時間が長く引き伸ばされて描かれています。壮大な戦いが数日間にわたって繰り広げられ、読者はその様子を詳細に追うことができます。
一方、アダムとイブがエデンの園で過ごす時間は、 idyllic な描写が多く、比較的短い時間で過ぎ去っていくように感じられます。これは、楽園での時間が永遠に続くものではなく、はかないものであることを暗示しているのかもしれません。
また、ミルトンは、時間経過を示唆する言葉を用いることで、時間の流れを表現しています。 “now” や “then” といった言葉や、「夜明け」「正午」「夕暮れ」といった時間の経過を表す言葉が効果的に使われています。