## マンのヴェニスに死すを深く理解するための背景知識
トーマス・マンについて
トーマス・マン(1875-1955)は、20世紀ドイツを代表する小説家で、1929年にノーベル文学賞を受賞しました。彼の作品は、高度な教養と知性、そして深い心理描写と社会的な洞察に満ち溢れています。マンは、ニーチェ、ショーペンハウアー、ワーグナーなどの思想や芸術から強い影響を受けており、彼の作品には、美と衰退、理性と本能、芸術と生といったテーマが繰り返し登場します。
マンはリューベックの裕福な商家に生まれ、保守的な環境で育ちました。しかし、彼は幼い頃から文学に強い関心を抱き、作家になることを決意しました。初期の作品である『ブッデンブローク家の人々』(1901)では、自身の家系をモデルに、ブルジョワ階級の衰退を描写し、高い評価を得ました。その後も、『魔の山』(1924)、『ヨゼフとその兄弟たち』(1933-1943)などの長編小説を発表し、ドイツ文学界の重鎮としての地位を確立しました。
第一次世界大戦後、マンは民主主義を擁護する立場を表明し、ナチスの台頭を批判しました。そのため、1933年にナチスが政権を掌握すると、ドイツを離れ、スイス、アメリカへと亡命を余儀なくされました。亡命先でも精力的に執筆活動を続け、『ファウストゥス博士』(1947)では、ナチズムを悪魔的なものとして批判しました。
マンの作品は、人間の深層心理や社会の複雑な構造を鋭く分析し、現代社会における人間の存在意義を問いかけるものです。『ヴェニスに死す』は、マンの中期を代表する作品であり、彼の美学と人生観が凝縮された傑作と言えます。
ヴェニスに死すの執筆背景
『ヴェニスに死す』は、1911年に発表された中編小説です。マンはこの作品を執筆するきっかけとなった出来事を、エッセイ「ヴェニスに死すの創作について」の中で詳しく語っています。
1911年、マンは妻カーチャとともにヴェニスを訪れました。そこで、ポーランド貴族の少年タッジオに魅せられます。その美しさは、マンに強烈な印象を与え、創作意欲をかきたてました。彼はこの体験を元に、『ヴェニスに死す』の構想を練り始めました。
また、このヴェニス旅行中に、マンはコレラが流行していることを知ります。コレラの脅威は、死の影を作品に落とすことになりました。さらに、この頃マンは、作曲家グスタフ・マーラーの死に大きな衝撃を受けていました。マーラーの死は、作品に漂う死の雰囲気をさらに強めることになりました。
このように、『ヴェニスに死す』は、マン自身の個人的な体験、社会的な状況、そして芸術家としての葛藤が複雑に絡み合い、生まれた作品と言えます。
世紀末ウィーンの雰囲気
『ヴェニスに死す』は、20世紀初頭のヨーロッパ、特に世紀末ウィーンの雰囲気を色濃く反映しています。世紀末ウィーンは、ハプスブルク帝国の首都として繁栄を極めていましたが、同時に、政治的な不安定さや社会的な矛盾を抱えていました。
この時代は、ニーチェ、フロイト、クリムトなどの革新的な思想家や芸術家が活躍した時代でもあります。彼らは、伝統的な価値観に疑問を投げかけ、人間の深層心理や社会の病理を鋭く分析しました。
世紀末ウィーンの雰囲気は、「世紀末」という言葉で表されるように、退廃的、耽美的、そして不安に満ちたものでした。このような時代の雰囲気が、『ヴェニスに死す』の主人公アッシェンバッハの心理状態や物語全体の雰囲気に反映されています。
アポロとディオニソス
『ヴェニスに死す』を理解する上で重要なキーワードの一つに、「アポロとディオニソス」があります。これは、ニーチェの哲学に登場する概念で、人間の精神における対照的な二つの原理を表しています。
アポロは、理性、秩序、調和、そして美の象徴です。一方、ディオニソスは、本能、陶酔、混沌、そして生命力の象徴です。ニーチェは、ギリシャ悲劇において、アポロ的な原理とディオニソス的な原理が融合することによって、真の芸術が生まれると主張しました。
『ヴェニスに死す』の主人公アッシェンバッハは、アポロ的な原理を体現する人物として描かれています。彼は、厳格な自己 disciplineと理性によって、芸術的な成功を収めてきました。しかし、ヴェニスでタッジオに出会い、ディオニソス的な原理に目覚めていきます。彼の理性的で抑制された精神は、タッジオへの情熱によって次第に崩壊していくのです。
アッシェンバッハの心理的な葛藤は、アポロとディオニソスの対立として解釈することができます。そして、彼の死は、ディオニソス的な原理に飲み込まれた結果として捉えることもできるでしょう。
コレラの象徴性
『ヴェニスに死す』では、コレラが重要な役割を果たしています。コレラは、単なる病気ではなく、様々な象徴的な意味を持っています。
まず、コレラは死の象徴です。アッシェンバッハがヴェニスに到着したときから、コレラの噂は街に漂っています。そして、物語の終盤で、コレラは実際に流行し、多くの死者を出します。アッシェンバッハ自身も、コレラに感染して死を迎えます。
また、コレラは社会の腐敗や衰退の象徴でもあります。コレラの流行は、ヴェニスの美しさの裏に隠された、不潔さや堕落を露呈させます。それは、世紀末ウィーンの社会が抱えていた矛盾や不安定さを象徴しているとも言えます。
さらに、コレラは、アッシェンバッハの精神的な崩壊を象徴するものでもあります。彼は、コレラの脅威に直面しながらも、タッジオへの情熱を抑えきれず、ヴェニスにとどまり続けます。そして、ついにコレラに感染し、精神的にも肉体的にも崩壊していくのです。
美と死の結びつき
『ヴェニスに死す』では、美と死が密接に結びついて描かれています。アッシェンバッハは、タッジオの美しさに強く惹きつけられますが、その美しさは同時に、死の予兆でもあります。
タッジオは、若く、美しく、そして健康的な少年として描かれています。しかし、彼の美しさは、はかなさと脆さを併せ持っています。そして、コレラの流行によって、彼の美しさはさらに儚いものとして映し出されます。
アッシェンバッハは、タッジオの美しさに魅せられる一方で、死の恐怖を感じています。彼は、美しさは必ず衰退し、死へと向かうものであることを悟ります。そして、彼自身の死もまた、タッジオの美しさに魅せられた結果として訪れるのです。
『ヴェニスに死す』は、美と死が不可分のものであることを示す作品と言えるでしょう。アッシェンバッハの死は、美しさへの憧憬と死への恐怖が極限まで高まった結果として訪れた、悲劇的な結末と言えるでしょう。
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