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マキャヴェッリの君主論のメッセージ

## マキャヴェッリの君主論のメッセージ

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君主の成功に不可欠な virtù

マキャヴェリは、「君主論」の中で、君主が権力を獲得し、維持するために必要な資質として **virtù** を繰り返し強調しています。Virtù は日本語では「 virtù 」と訳されることが多いですが、「徳」と混同されがちです。マキャヴェリが意図した virtù は、伝統的な道徳観念とは一線を画すものでした。

マキャヴェリは、君主が置かれた厳しい現実を直視し、時には冷酷さや欺瞞さえも必要とする状況を認識していました。Virtù は、状況に応じて柔軟に、そして大胆に行動する能力、冷徹な判断力、そして時には非情になることも厭わない決断力を包含しています。

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獅子と狐、二つの顔を使い分ける

「君主論」の中で、マキャヴェリは君主が備えるべき二つの側面を、**獅子**と**狐**に喩えています。

獅子は、力強さと勇猛さを象徴し、武力によって敵を打ち破る力、恐怖によって民衆を統制する力を表しています。一方、狐は、狡猾さと機転を象徴し、策略や欺瞞を駆使して目的を達成する能力を表しています。

マキャヴェリは、理想的な君主は、獅子と狐、両方の性質を兼ね備え、状況に応じて使い分けることができなければならないと説いています。

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運命 Fortuna との闘い

マキャヴェリは、人間の力ではどうにもならない「運命 **Fortuna** 」の存在を認めつつも、君主は運命に翻弄されるのではなく、積極的に立ち向かうべきだと主張しています。

彼は、運命は激流の川のようなものであり、堤防を築くなど事前に備えておくことで、その影響を最小限に抑えられると説いています。

君主は、常に先を見据え、あらゆる事態を想定し、備えを怠らないことで、運命のいたずらに打ち勝ち、自らの手で運命を切り開くことができるとマキャヴェリは考えていました。

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目的と手段の分離

マキャヴェリは、「君主論」において、政治の世界では、**目的と手段は分離されるべき**であるという考えを示しています。

伝統的な道徳観念では、手段は目的を正当化するものであり、目的がいかに崇高であっても、不正な手段を用いることは許されませんでした。

しかし、マキャヴェリは、政治の世界においては、国家の安定と繁栄という目的のためには、時には倫理的に問題のある手段も必要となることを主張しています。彼は、君主は、民衆の支持を得るために、時には宗教を利用することも辞さない pragmatist でした。

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読書意欲が高いうちに読むと理解度が高まります。

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