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マイネッケの近代史における国家理性の理念の周辺

マイネッケの近代史における国家理性の理念の周辺

マイネッケにおける「国家理性」の位置づけ

フリードリヒ・マイネッケ(1862-1956)は、ドイツの歴史家、政治学者であり、近代国家の形成過程を独自の視点から分析したことで知られています。彼は、主著『ドイツ史における国家理性の理念』(1924年)において、近代ヨーロッパ史を「国家理性」の発展と衰退という観点から捉えようとしました。

「国家理性」の内容

マイネッケは、「国家理性」を、国家がその存続と発展のために、理性に基づいて自らの行動を律することと定義しています。彼によれば、国家は、単なる権力機構ではなく、独自の道徳的理念と目的意識を持つ存在です。そして、国家は、歴史の中で試行錯誤を繰り返しながら、自らの理性に基づいて最適な行動を選択し、発展していくと考えました。

近代国家の形成と「国家理性」

マイネッケは、近代国家の形成過程を、「国家理性」が発展していく過程として捉えました。彼は、中世の封建社会では、国家は統一的な存在ではなく、様々な権力が分散していました。しかし、宗教改革やルネサンスなどの影響を受けて、近代的な主権国家が成立し始めると、国家は独自の理性に基づいて行動するようになり、その結果として、国内の秩序を確立し、経済を発展させ、国民の福祉を増進させていったと主張しました。

「国家理性」の衰退

一方で、マイネッケは、19世紀後半以降、「国家理性」が衰退しつつあると危惧していました。彼は、国民国家の隆盛に伴い、国家間の競争が激化し、国家が自らの利益を追求することに固執するようになり、その結果として、第一次世界大戦のような悲劇が引き起こされたと考えていました。

マイネッケの史観への批判

マイネッケの「国家理性」概念は、歴史を理念的に解釈しようとする試みとして、高く評価される一方、批判も少なくありません。主な批判点は、「国家理性」という概念自体が抽象的で、具体的な歴史的事実を説明する上で十分な説得力を持たないという点です。また、「国家理性」を過度に重視するあまり、国民の感情や経済的な要因などの重要な要素を軽視しているという指摘もあります。

その後の歴史学への影響

批判はあるものの、マイネッケの「国家理性」概念は、その後の歴史学に大きな影響を与えました。彼の歴史観は、国家中心主義的な歴史観を相対化し、国民国家を超えたより大きな歴史的文脈の中で近代国家を捉え直すきっかけを与えました。また、「国家理性」という概念は、現代においても、国家の役割や責任を考える上で重要な視点を提供しています。

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