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マイネッケの歴史主義の成立の案内

マイネッケの歴史主義の成立の案内

1. レオポルト・フォン・ランケの影響

マイネッケの歴史主義は、19世紀のドイツ歴史学派の巨匠、レオポルト・フォン・ランケの影響を強く受けています。ランケは、史料批判に基づいた客観的な歴史記述を提唱し、「過去をありのままに」描くことを目指しました。マイネッケもまた、ランケの史料批判の重要性を高く評価し、歴史研究の基礎としていました。

2. ヘーゲル哲学との対峙

マイネッケは、当時のドイツ思想界に大きな影響力を持っていたヘーゲル哲学にも向き合いました。ヘーゲルは、歴史を「絶対精神」が自己実現していく過程と捉え、歴史には一定の法則性や目的があるとしました。しかし、マイネッケは、ヘーゲルの歴史観を、歴史を理念的に解釈しすぎるものとして批判しました。彼は、歴史は個性的で一回的な出来事の連続であり、普遍的な法則に還元することはできないと主張しました。

3. 個体性と発展の重視

マイネッケは、歴史における個々の出来事や人物の独自性、すなわち「個体性」を重視しました。彼は、歴史はそれぞれ異なる時代や状況の中で、個性的な人間たちの行為によって形作られていくと考えていました。また、マイネッケは歴史を静的なものではなく、常に変化し発展していくものと捉えました。彼は、歴史における変化は、個々の出来事や人物の相互作用によって生み出されると考えました。

4. 国家の有機的な発展

マイネッケは、国家を個体性を持ち、有機的に発展していく存在と見なしました。彼は、国家は単なる制度や組織ではなく、歴史の中で形成された独自の文化、伝統、国民意識を持つと主張しました。そして、国家は他の国家との相互作用の中で、絶えず変化し発展していく存在であると考えました。

5. 歴史記述における主観性の問題

マイネッケは、ランケの客観主義的な歴史記述に共感しつつも、歴史家の主観性の問題を避けることはできないと考えていました。彼は、歴史家は過去の出来事を解釈する際に、自身の時代背景や価値観の影響を受けざるを得ないと指摘しました。

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