マイネッケの歴史主義の成立の分析
成立の背景
フリードリヒ・マイネッケ(1861-1954)は、ランケに代表される19世紀ドイツ歴史学の伝統を受け継ぎ、歴史主義を体系化した歴史家である。マイネッケの歴史主義は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてのドイツの社会状況や学問的動向と深く関わって成立した。
社会状況
19世紀後半のドイツは、産業革命の進展、国民国家の形成、社会主義運動の高まりなど、大きな社会変動の時代であった。このような時代状況の中で、歴史学は、過去の出来事や社会構造を分析することで、現代社会の課題解決に貢献することが期待された。
学問的動向
19世紀後半のドイツでは、自然科学の方法論を人文科学にも適用しようとする実証主義が流行した。歴史学においても、史料批判に基づいて客観的な歴史記述を目指そうとする動きが強まった。また、ヘーゲルに代表される歴史哲学の影響を受け、歴史を法則性や必然性に基づいて理解しようとする歴史主義が台頭した。
ランケの影響
マイネッケの歴史主義は、ランケの歴史学から大きな影響を受けている。ランケは、史料批判を重視し、「ありのままに」歴史を叙述することを主張した。マイネッケもまた、史料批判の重要性を強調し、歴史家の主観を排除した客観的な歴史記述を目指した。
ブルクハルトの影響
スイスの歴史家ブルクハルトも、マイネッケの歴史思想に影響を与えた。ブルクハルトは、歴史を政治史だけでなく、文化や芸術など多様な側面から捉えることの重要性を説いた。マイネッケもまた、政治史中心の従来の歴史学を批判し、文化史や社会史など歴史研究の領域を拡大した。