## マイイネッケの『歴史主義の成立』の思想的背景
###
18世紀ドイツ思想
マイネッケは『歴史主義の成立』において、歴史主義の起源を18世紀末から19世紀初頭のドイツ思想に求めました。 特に、啓蒙主義に対する批判的反応として生まれた以下の三つの潮流を重視しています。
* **歴史への関心の高まり:** 啓蒙主義が普遍的な理性や自然法を重視したのに対し、18世紀後半のドイツでは、歴史や伝統、文化の固有性に光が当てられるようになりました。 ヘロドトスやタキトゥスといった古代の歴史家の作品が再び注目され、歴史研究が盛んになりました。
* **有機体説の発展:** 啓蒙主義が社会を機械論的に捉えたのに対し、ドイツでは国家や社会を、個々の部分が全体と有機的に結びついた「有機体」として捉える考え方が広まりました。 この有機体説は、歴史を必然的な発展の過程として捉える歴史主義の思想的基盤となりました。
* **感情と個性の重視:** 啓蒙主義が理性や客観性を重視したのに対し、ドイツでは、人間の感情や個性の重要性が主張されるようになりました。 このことは、歴史を個々の時代の精神や文化を理解する営みとして捉える歴史主義の思想に繋がっていきました。
###
ドイツ観念論の影響
マイネッケは、歴史主義の成立にドイツ観念論、特にカントとヘーゲルの哲学が大きな影響を与えたことを指摘しています。
* **カント**: カントは、人間の認識能力には限界があり、物事を「物自体」としては捉えられないとしました。 このことは、歴史認識においても、客観的な歴史の事実そのものを捉えることはできず、あくまでも人間の主観的な認識を通してのみ歴史を理解できるということを意味します。 このようなカントの認識論は、歴史を相対的に捉える歴史主義の思想に繋がっていきました。
* **ヘーゲル**: ヘーゲルは、歴史を「絶対精神」が自己実現していく過程と捉えました。 彼によれば、歴史は偶然の積み重ねではなく、必然的な法則に従って発展していくものであり、その背後には理性的な原理が働いています。 ヘーゲルの歴史哲学は、歴史を全体的かつ発展的に捉える歴史主義に大きな影響を与えました。
###
その他の要素
上記の思想的背景に加えて、マイネッケは、歴史主義の成立には以下の二つの要素も影響したと指摘しています。
* **実証主義:** 19世紀に入ると、歴史研究においても、資料に基づいた客観的で科学的な方法が重視されるようになりました。 ランケに代表されるこの実証主義の歴史学は、歴史主義の方法論に大きな影響を与えました。
* **ドイツの政治状況:** 当時のドイツは、政治的に分裂し、統一国家を形成できていませんでした。 このような状況下で、ドイツの知識人たちは、歴史の中にこそドイツの国民としてのアイデンティティを見出そうとしました。 このようなドイツの政治状況もまた、歴史主義の台頭を促す要因の一つとなりました。
これらの思想的背景を理解することは、マイネッケが『歴史主義の成立』において展開した歴史主義の分析や評価を深く理解する上で不可欠です。