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ベルクソンの時間と自由の翻訳

## ベルクソンの時間と自由の翻訳

ベルクソンの時間と自由の翻訳における問題点

ベルクソンの主著である『時間と自由』は、その哲学の中心概念である「 durée (デュレ)」をめぐる翻訳の難しさから、これまで様々な解釈を生み出してきました。本稿では、その翻訳における問題点について、具体的な例を挙げながら詳しく解説していきます。

「 durée 」の翻訳

ベルクソンの哲学において最も重要な概念である「durée」は、一般的には「持続」と訳されます。しかし、この「持続」という言葉は、客観的で均質な時間概念である「temps(タン)」と区別がつきにくいため、ベルクソンの思想を正確に伝えるには不十分であるという指摘があります。

実際、「durée」は、個人の内的意識における、質的に異なり、たえず変化し続ける時間の流れを指しており、「持続」という言葉ではその動的な側面を十分に表現しきれていません。そのため、「持続」以外の訳語として、「純粋持続」「持続時間」「内的時間」などが提案されています。

その他の重要語句の翻訳

「durée」以外にも、『時間と自由』には、ベルクソンの哲学を理解する上で重要な語句が多数登場します。例えば、「élan vital(エラン・ヴィタール)」は、「生の飛躍」と訳されることが多いですが、「生命の躍動」や「生命の推進力」といった訳語も提案されており、それぞれニュアンスが異なります。

また、「intuition(アンチュイション)」は、一般的には「直観」と訳されますが、ベルクソンの哲学においては、分析的知性ではなく、生命の内的経験に根ざした認識方法を指しており、「直覚」という言葉ではその意味の広がりを十分に表現できないという指摘もあります。

翻訳における解釈の問題

『時間と自由』の翻訳における問題は、単に適切な訳語を選ぶことだけにとどまりません。ベルクソンの哲学は、非常に難解で多義的な表現が多く、翻訳者の解釈によってその意味合いが大きく変わってしまう可能性があるからです。

例えば、「liberté(自由)」という語一つとっても、ベルクソンは、決定論的な物理的世界における自由ではなく、「durée」における意識の自由、つまり、過去の経験に規定されない、真に新しい行動を起こす力を意味しています。このようなベルクソンの思想を正確に理解するためには、原文を注意深く読み込み、文脈に応じた適切な解釈に基づいた翻訳が求められます。

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