## ベルクソンの時間と自由の世界
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時間論
ベルクソンの哲学において、時間は中心的な概念です。彼は、伝統的な哲学や科学が時間を空間化していると批判しました。彼によれば、時間は時計の時間のように均質で分割可能なものではなく、質的に異なり、流動的なものです。
ベルクソンは、時間を二つの側面から捉えました。
* **量的時間**: これは、時計の時間のように、均質で分割可能な時間です。科学や日常生活では、この量的時間概念が用いられます。
* **質的 durée**: これは、私たちの意識の中で経験される、流動的で非連続的な時間です。これは、純粋持続とも呼ばれ、過去・現在・未来が不可分に結びついたものです。
ベルクソンは、真の時間は durée であると主張しました。durée は、絶えず変化し、創造的な過程であり、私たちの意識の中で直接的に経験されるものです。
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自由論
ベルクソンの自由論は、彼の時間論と密接に関係しています。彼は、決定論と自由意志の二元論を乗り越えようとし、新しい自由の概念を提示しました。
決定論は、すべての出来事は過去の原因によって決定されており、自由意志は存在しないという立場です。一方、自由意志論は、人間は自由に選択を行うことができると主張します。
ベルクソンは、durée の概念を用いて、決定論と自由意志論のいずれにも還元されない自由の概念を展開しました。彼は、自由とは、過去の習慣や経験、外部からの制約を超えて、真に新しいものを創造する力であると考えました。
ベルクソンの自由は、durée の中でこそ可能になります。なぜなら、durée は、過去・現在・未来が不可分に結びついた、絶えず創造的な過程だからです。durée の中で、私たちは過去の制約にとらわれずに、真に自由な選択を行い、新しい自己を創造することができます。
ベルクソンは、この自由な行為を「elan vital(生の飛躍)」と呼びました。elan vital は、生命の根源的な力であり、絶えず新しいものを創造しようとする衝動です。