## ベケットのゴドーを待ちながらと時間
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時間の欠如
「ゴドーを待ちながら」では、具体的な時間経過や日付、場所に関する情報が意図的に排除されています。登場人物たちは、「昨日」「いつか」「決して」といった曖昧な表現を用いて時間について言及するものの、客観的な時間軸は存在しません。
この時間設定の曖昧さは、観客に時間に対する通常の認識を放棄させ、劇中で展開される不条理で反復的な状況に集中させます。登場人物たちは、ゴドーがいつ来るのか、そもそも来るのかさえも分からず、ただ待ち続けるしかありません。
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反復と循環性
劇中では、登場人物たちの会話や行動に多くの反復が見られます。例えば、ウラジミールとエストラゴンの他愛のないやり取りや、ポッツォとラッキーの登場は、わずかな変化を加えながら繰り返されます。
この反復性は、劇中の時間の流れが循環的であることを示唆しています。登場人物たちは、明確な目標や進展もなく、同じような時間を繰り返しているように見えます。ゴドーの来訪という希望も、永遠に実現しない可能性を示唆することで、時間的停滞感を強めています。
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時間の経験
客観的な時間軸が存在しない一方で、登場人物たちはそれぞれ独自に時間経過を経験しています。ウラジミールは、過去や未来について考え、時間に対する不安を抱えています。エストラゴンは、より感覚的な存在であり、現在の苦痛や退屈に意識を集中させています。
このように、「ゴドーを待ちながら」における時間は、客観的な尺度ではなく、登場人物たちの主観的な経験として描かれています。時間に対する不安、退屈、虚無感といった感情が、劇全体に漂う不条理な雰囲気を形作っています。