プーシキンの大尉の娘を深く理解するための背景知識
プーシキンについて
アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・プーシキン(1799年~1837年)は、ロシアの国民的詩人であり、近代ロシア文学の創始者とされています。貴族階級の出身であり、幼い頃からフランス文学やロシアの民話に触れて育ちました。ツァールスコエ・セロー・リツェイで教育を受け、そこで詩作の才能を開花させます。卒業後は自由奔放な生活を送り、政治的な詩を書いたことで皇帝の怒りを買い、南ロシアへの追放処分を受けます。その後、ミハイロフスコエ村での軟禁生活を経て、再びペテルブルクに戻りますが、皇帝ニコライ1世の監視下に置かれます。プーシキンは詩、戯曲、小説など様々なジャンルで作品を発表し、ロシア文学に大きな影響を与えました。彼の作品は、ロシア語の美しさを最大限に活かした表現、人間の心理描写の巧みさ、そして社会や歴史に対する深い洞察などが特徴です。
執筆の背景:プガチョフの乱
「大尉の娘」は、1773年から1775年にかけてロシアで起こったプガチョフの乱を背景にしています。この乱は、ドン・コサックの指導者エメリヤン・プガチョフが、自身を殺害された皇帝ピョートル3世と偽って農民やコサックを蜂起させた大規模な反乱でした。プガチョフは、農奴制の廃止や地主への課税などを訴え、多くの支持を集めました。反乱軍は、各地で政府軍と戦い、一時的に多くの地域を支配下に置きましたが、最終的には鎮圧されました。プガチョフは捕らえられ、モスクワで処刑されました。プーシキンは、この歴史的な事件を題材に、人間の愛と忠誠、そして歴史の激動を描いた「大尉の娘」を執筆しました。
ロシア社会における階級制度
18世紀のロシアは、厳格な階級制度が敷かれていました。貴族階級は特権的な地位を占め、農奴は土地に縛り付けられ、地主に従属していました。プーシキンは、「大尉の娘」の中で、この階級制度が人々の生活や運命にどのような影響を与えていたのかを描いています。主人公のグリニョーブは、貴族階級の出身であり、裕福な家庭で育ちました。一方、ヒロインのマリアは、辺境の砦の司令官の娘であり、グリニョーブとは身分が異なります。プガチョフの乱によって社会秩序が崩壊する中で、二人の身分差が彼らの愛や運命に影を落とします。
名誉と忠誠の概念
「大尉の娘」において、名誉と忠誠は重要なテーマとなっています。主人公のグリニョーブは、父親から「名誉を失うくらいなら命を失え」と教えられ、その教えを忠実に守ろうとします。プガチョフの乱の際、グリニョーブは反乱軍に捕らえられますが、プガチョフへの忠誠を誓うことを拒否し、死を覚悟します。一方、プガチョフは、反乱軍の指導者でありながら、グリニョーブの誠実さや勇気を認め、彼に敬意を払います。このように、「大尉の娘」では、異なる立場の人物たちの間で、名誉と忠誠をめぐる葛藤が描かれています。
歴史小説としての特徴
「大尉の娘」は、プーシキンが歴史的な資料を綿密に調査した上で執筆した歴史小説です。プーシキンは、プガチョフの乱に関する資料や、当時の社会状況に関する資料を収集し、それらを元に物語を構築しました。また、登場人物の性格や行動も、歴史的な事実や当時の社会通念に基づいて描かれています。そのため、「大尉の娘」は、単なる歴史小説ではなく、18世紀ロシアの歴史と社会を深く理解するための重要な資料としても高く評価されています。
ロシア文学における位置づけ
「大尉の娘」は、ロシア文学史において重要な位置を占めています。プーシキンは、この作品で、ロシア語の美しさを最大限に活かした簡潔で力強い文章で物語を展開し、人間の心理や社会状況をリアルに描写しました。また、歴史的な事件を題材にしながらも、普遍的なテーマである愛と忠誠、正義と悪、人間の尊厳などを描き出し、読者の共感を呼んでいます。「大尉の娘」は、ロシア文学の古典として、現代でも広く読まれ、研究されています。
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