## プラトンのゴルギアスの批評
ソクラテスの弁論術に対する批判
プラトンの対話篇『ゴルギアス』において、ソクラテスは、雄弁術、修辞学、そして快楽を追求する人生を批判しています。彼の主張は、当時のアテネ社会において大きな論争を巻き起こしました。
まず、ソクラテスは、雄弁術を「追従」とみなし、真実に基づかない説得の技術であると批判しました。彼は、雄弁家が聴衆を巧みな話術で欺き、真実に反する結論へと導くことを危惧しました。ソクラテスは、真の知識に基づかない雄弁術は、社会に悪影響を及ぼす可能性があると主張したのです。
また、ソクラテスは、当時のアテネで流行していた修辞学についても、批判的な立場をとっています。彼は、修辞学を「技術」ではなく「経験」に基づいたものであるとし、体系的な知識や倫理的な配慮を欠いたものであると指摘しました。ソクラテスは、修辞学者が聴衆の感情に訴えかけることで、一時的な人気を得ることはできても、真の説得には繋がらないと主張しました。
快楽主義に対する批判
さらにソクラテスは、快楽を人生の目的とする快楽主義に対しても、痛烈な批判を展開しています。彼は、快楽は一時的なものであり、真の幸福をもたらすものではないと主張しました。ソクラテスは、節制や正義といった徳こそが、真の幸福に繋がるものだと考えました。
ソクラテスは、快楽主義的な生き方は、結局のところ、魂を堕落させるものだと批判しました。彼は、魂の健康こそが重要であり、そのためには、快楽ではなく、徳を追求するべきだと主張したのです。
対話篇の解釈をめぐる議論
プラトンの『ゴルギアス』は、ソクラテスの弁明、そして彼の思想を理解する上で重要な作品です。しかし、その解釈については、様々な議論があります。
例えば、ソクラテスの主張は、当時のアテネ社会における民主主義に対する批判として解釈されることもあります。また、ソクラテスの主張は、プラトン自身の哲学的な立場を反映していると考えられています。
いずれにせよ、『ゴルギアス』は、古代ギリシアにおける倫理思想、政治思想、そして修辞学を理解する上で、欠かすことのできない作品と言えるでしょう。