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プラトンのゴルギアスの感性

## プラトンのゴルギアスの感性

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快楽と善

ゴルギアスにおいて、プラトンはソクラテスという媒介を通して、快楽と善の関係について考察しています。 ソクラテスは、弁論術の大家ゴルギアスやその弟子ポロス、そして、若く野心的なカリクレスといった議論の相手に対し、快楽を善と同一視することの問題点を鋭く指摘します。

例えば、ソクラテスは、飲酒や飲食、性行為といった肉体的な快楽は、それ自体が良いのではなく、節度を持って追求される時に初めて善となると主張します。 逆に、節度を超えた快楽の追求は、肉体的にも精神的にも害悪をもたらすとされます。 つまり、ソクラテスにとって重要なのは、快楽そのものではなく、それがもたらす結果、そして、それが善へと繋がるか否かということなのです。

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魂と身体

快楽と善の関係性を考える上で、プラトン(ソクラテス)は、魂と身体の二元論を展開します。 プラトンにとって、魂は不滅であり、理性と知性を司る高貴な部分である一方、身体は死すべきものであり、欲望や情動といった低俗な部分であるとされます。 そして、真の幸福は、魂を鍛錬し、理性に従って生きることで得られるのであり、身体の快楽に溺れることは、魂を堕落させ、不幸に繋がると考えられています。

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弁論術への批判

ゴルギアスは、弁論術を巧みに操ることで、大衆を扇動し、名声や富を得ることができると考えています。 しかし、ソクラテスは、真の弁論術とは、真実を追求し、人々に正しい知識を与えることであり、単なる自己の利益のための大衆迎合であってはならないと主張します。 ソクラテスは、ゴルギアスやポロスが駆使する弁論術を、詭弁やレトリックに過ぎないと批判し、真の知識に基づいた哲学の重要性を訴えます。

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